日本の家

 午後から会議で都内に出る。6時過ぎに終わったので歩いていける距離にあるMOMAT(東京国立近代美術館)へ行く。ずっと気になっていた企画展「日本の家」を観て来る。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/the-japanese-house/:TITLE

 金曜の夜、9時までやっているナイト・ミュージアムなんだが、けっこう混んでいる。なんとなく客層は、建築学科学生、ハウスメーカー社員、単なる建築好きみたいな感じかなと思った。
 正直、建築はよくわからない。大昔に藤森照信の本を少し読んで、看板建築とかって言葉にいっちょ前に反応したり、当時勤めていた会社が神保町だったので、昼休みとか街を徘徊するたびに、これも看板建築、これも看板建築などと独りごちていた記憶がある。
 その後、出版社に勤めた時に自称プロデューサーというええカッコしいの社長から、建築は日本では東大にしろ早稲田にしろ工学部の範疇にあるが、西洋では人文科学に入るんだとよく語られて、そんなもんですかと答えていた。まあ実際のところ、西洋建築はほとんど芸術の範疇といわれればその通りということになる。ええカッコしいの社長はそういうところはカッコよく正論を述べられていた訳だ。
 そんな訳で(どんな訳だ)、建築に関してはほとんど門外漢。何も語るべきものはない。まあ一応は丹下健三黒川紀章フランク・ロイド・ライトだのコルヴィジェとか名前くらいは知ってるはいますけど。ただし名だたる大建築家の芸術的意匠溢れる作品が、概して機能性の点ではお話にならない場合があったりするということも人から聞いたことがある。えらく使いにくい倉庫があの有名な芦原先生の事務所によるものだったなんていうのも誰かに聞いたことがあったっけな。
 話は脱線である。「日本の家」なんだが、やっぱりスター建築家の設計した数々の住宅の模型や、高度成長期にユニット工法による住宅の大衆化に成功したセキスイハイムなど、けっこう興味深く見ることができた。
http://www.sekisuiheim.com/info/press/20170619.html:TITLE
 その他で特に興味を引いたのは、「家族を批評する」というテーマに添えられた解説文だ。そのまま引用する。

家は家族のあり方を規定している。そのことを戦後間もない時期に主張したのが、女性建築家第一号とも言われる浜口ミホ(1915-1988)でした。彼女は1949年に出版した『日本住宅の封建制』において、日本のそれまでの家が、一家の主が別の家の主を迎えることを主たる目的として構成されてきたと指摘しました。そして、そうした機能を象徴する玄関や床の間を、今後の家からはなくして行くべきだと主張したのです。
つまり建築家たちは、家のデザインを通じて新しい家族のあり方を世に問うているということでもある。それは別の見方をすれば、たとえばハウスメーカーが提案するような標準的な家族像に基づく家に違和感を感じる人たちが少なからずいて、彼らが建築家と協働して、新しい家族のあり方を提案=実践しているということでもあります。

一言でいうと悪文の類だとは思う。「である」調と「ですます」の混在する文章。誰か赤入れろと、どうでもいい突っ込みを入れておく。それはそれとして浜口ミホの主張はまさしく正しい。住宅が制度を体現しているというのはその通りだと思う。何か俄然この女性建築家第一号という人物に興味が湧く。ウィキペディアとかによれば公団住宅のデザインにも影響を与えたのだとか。

特に住宅で裏方に追いやられていた台所を機能的で明るい場所に引き上げた功績で知られる。その思想は1955年発足の日本住宅公団の台所に採用されて販売促進に貢献する
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%8F%A3%E3%83%9F%E3%83%9B:TITLE

 その著作である『日本住宅の封建制』は入手可能なのかと調べるとアマゾンでも古書がけっこうな高額で出品されている。こういう本こそ電子ブックにするとか、どっかの出版社が復刊すればいいのにとか思ったりもする。
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E5%AE%85%E3%81%AE%E5%B0%81%E5%BB%BA%E6%80%A7-1958%E5%B9%B4-%E6%B5%9C%E5%8F%A3-%E3%83%9F%E3%83%9B/dp/B000JANZJE/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1505218201&sr=1-4:TITLE
 この企画展、売りは美術館の中に住宅の間取りを再現とかいうのだが、けっこう面白い企画だとは思った。近代美術館ならではといってもいいかも。