61になる

 特に感慨らしきものもなく、また一つ年をとった。去年はさすがに還暦ということでそれなりに構える部分も無きにしもだったが、今回はまったく何も思うこともない。たまたま酒とタバコを控えてから23日目にあたることくらいだが、それとて特に感慨めいたことがある訳でもない。ただただ続いているというだけのことだ。
 体力面、仕事面についてでいえば、持続力がめっきり落ちた。要は集中が切れるようになった。昔であれば簡単に片付いた仕事がなかなか終わらない。書誌のデータベースなどは一気に出来なくなったな。20年前から続けている書誌データベースも最近は刊行点数が最盛期に比べて半減まではいかないにしろ、かなり減った。それなのになかなか入力が終わらない。この量なら半日仕事だなとか、1〜2時間で終わるなという見通しが立たなくなった。
 最もそのての作業系が仕事のメインではなくなってはいる。判断や意思決定に関わることが多い。それについてはきちんとこなしているとは思うのだが。とにかく作業系はダメ担っていることには明らかな自覚症状がある。
 健康面はどうか、こればっかりはよくわからない。糖尿、高血圧、脂肪肝、コレストロール値、ほぼ全部が以前は成人病予備軍だったが、今は明らかな成人病だと思う。さすがに妻のことがあるので、血管や脳関係については少し神経質な部分もあるにはある。少し前に2年ぶりに脳のMRIをとったが、これに関しては異常なしということだった。
 しかし61である。参ったよな、という思いだ。もう完全に老人じゃないかと、老人の年齢の自分が独白する。さらにいえばだ、我が家の家系はこと男系に関しては短命だ。父も祖父も63で亡くなっている。父はクモ膜下出血、祖父は胃ガンだったと聴いている。もし短命の家系が連綿と続いているのであれば、自分の寿命はあと2年かそこらということになる。
 しいて楽観的なことをいえば、兄は今、66になるが一応生きながらえている。彼は自分なんかよりも上手の成人病で、糖尿病もかなり悪化していて、インシュリンを自分でうつような状態だ。さらにいえば腎臓の機能がほぼダメになっていて、人工透析で週に3回病院通いをしている。心臓周りの血管にも障害を抱えている。
 それを考えれば、自分はまだまだかもしれない。おかげさまでというのか、まだ一度も入院というものを経験したことがない。60年間生きてきて入院なしというのもなかなか凄いことじゃないかとも思う。幸運にも健康な生活を送ってこれたということだ、今までは。
 できれば入院だとか、病気で苦しむみたいなのは避けられるものなら、避けたいとは思う。父のように病気で倒れて2日後には死ぬみたいなのが、一番本人にとっても家族にとってもいいことかもしれない。
 家族について。子どもは今年二十歳になる。後2〜3年で大学も卒業する。順調に行けばそこからは就職して独り立ちすることになる。そうなれば少しは肩の荷も下ろせる。あとはこれまでもずっとそうだったように、妻の面倒、介護を続けていくということだ。片麻痺の妻の病状に変化がなければ、妻一人の介護であればなんとかなる。もう十数年そうやってきたのだから。でも妻の病気が進行するとなれば、話は違ってくる。そして自分も加齢とともに今まで以上に体力も落ちていくだろう。しかし妻のことを考えると、あと2年で寿命がどうのとかそんなぬるいことを言ってる場合ではない。生き続けなければならないし、とにかく凌いで行かなければならない。
 仕事はどうだ。本来なら定年年齢を超え、延長組になっているはずだ。幸運なことに、本来なら収入が激減する年齢にあって、多分生涯の中で一番高収入を得るような立場になっている。偶然、巡り合わせ、そういった類のことではある。今、任期は二期目にあるが、順調に行けばあと二期くらいななんとかなるかもしれないが、逆に残りの任期で詰め腹切らされる可能性もある。薄氷踏むみたいな、そこまでシビアな状況ではないが、いつ何があってもおかしくない。
 できれば世間並みに65までは仕事をしていたいとは思う。妻の介護、面倒を見続けていくことを考えれば、そこまでは働いていたし、できればその後だって凌ぎは必要なんだろうとは思う。とてもとても引退して、老後は趣味に生きるみたいなことは現実にはありえないことなんだろうとも。まあできればもっと沢山音楽を聴く時間を、本を読む時間を、絵を観に行く時間を、ようは好きなことに時間を使えるようになればいいとは思うが。でもその頃にはもう気力もなくなり、いやそれ以前に好きなことに使う活力も亡くなっているかもしれない。
 グダグダと、本当にグダグダとつまらないことを書き続けている。しょうもないなと我ながら思わないでもない。でも、多分それが自分の61歳のいるところなんだろうなということだ。