本の帯の効能

 長く本を売る商売をしてるのだけど、本の帯の意義が今一つ理解できない。時分の場合、本を買ってきたらたいていの場合、帯はすぐに外してしまう。それどころかカバーすらたいてい外して持ち歩くのが普通だ。読み終えてカバーがまだあればつけ戻すけど、帯は大体においてゴミ箱行だ。カバー、帯がついていたほうがブックオフに持っていくときにより高く値が付くって、それはあまり意識しないな。最近はブックオフに持ち込むほど本を買っていないし、コミックの類や流行りの文庫本などは、それこそ紙ゴミの日にまとめて出しちゃうことの方が多いようにいも思う。
 それでは売る立場としてはどうかというと、単なる商品管理の上でいえば、帯は擦れたり破れたりとかあるので正直なくていいと思う。本屋にいてラスト1冊帯が破れているのを読者がレジに持ってくる場合、たいてい「これ帯破れてないのある」みたいな展開になる。「すみません、在庫はこれ1冊ですが」とか答えると、「じゃあ、いいか」と買ってくれるか、あるいは別の店で買うからみたいな残念な結果になったりもする。
 元々、本の帯はアイキャッチャー的意味合いが多い。書誌情報を容易に読者の目に入るような部分が最大の利便性かもしれない。特にコミックとかだと、今はだいたいシュリンク包装されているので、本を手にとった読者が内容について知るには表紙の絵と帯の情報くらいだけなので、帯は重要という意見もあるにはある。でもそれも平積みであれば理解できるけど、棚差しになっては何の意味もない。
 帯は新刊時のアイキャッチャー帯の他にも、フェア帯、映画公開帯、重版、復刊帯、受賞帯など様々ではあるが、なんとなく他社もやっているからやるみたいな部分もあるのではないかと思っている。最も出版社の営業が書店に出向いて担当者に帯が付いてたほうがいいかどうかを聞けば、たいていの書店担当は「帯はついてたほうがいい」と多分答えるとは思うが。
 まあ最近は帯が本の装丁の一部となっているようなデザインのものもけっこう多い。試しに帯を取り外してみると、なんとも間延びしたデザインになっていて、さすがにこれを平積みや面陳するのはどうかということになったりもする。
 帯は大体において、製本所でかけるのだが、確か並製の場合は機械で帯かけができるが上製本は手巻きだとか聞いたことがある。あるいはカバーと一緒であれば機械で巻くことができるが、帯だけを巻く場合は手巻きになるとかそんな話だったか。ここでいう手巻きというのは本を何百冊、何千冊を人海戦術で手で帯を巻いていくということだ。
 例えば、単行本の在庫が2000冊あったとする。その本がなんとか賞というそこそこ知られた賞を取ったとする。重版をかければそれは最初から帯付きとなるが、問題は在庫分だ。重版出来までにすべてはければいいのだが、残っているようだと余った帯を在庫にも巻くという作業となる。
 もし帯の予備が倉庫に入ってきたときに在庫が1000冊あるとすれば、その1000冊のワンプ紙という梱包紙を破り本を裸の状態でオパレットに積み上げる。これを数人のパートさんが黙々と帯を巻いていく。巻き終わったらまたワンプ紙で包装して完了となる。不毛なお仕事の類だ。
 さらにいえば帯巻きある程度、機械巻きができるけど、帯外しは完全に手仕事だ。例えば映画公開に合わせて映画公開とかスティール写真を載せた帯付きでドーンと重版をかけたり、受賞帯付きで重版をかける。これが全部はければいいのだが、重版のタイミング、回数とかでヘタを打つとけっこう残ったりもする。そして映画公開もとっくのとおに終了し、映画帯付き本が数千冊残ったりすると、不毛の帯外し作業がどこかで行われる訳だ。
 以前、勝手に想像したんだけど、村上春樹ノーベル賞狂騒曲のとき、出版社は絶対受賞帯用意していて、帯付き重版とか在庫分に帯を巻いていたのではないかと。そして受賞発表と同時にドーンと取次搬入する予定でいた。そして受賞が莫言やアレクシェーヴィッチに決まった時、倉庫で慌てて数万部の帯外しやることになったんじゃないかとか。