新思索社の倒産

 小田光男の出版状況クロニカルから

出版・読書メモランダム
13.これも人文書新思索社が破産。
 負債総額は5000万円。小泉孝一社長が亡くなり、事業を断念したことで、取締役が破産申し立てに至ったとされる。
[実は「出版人に聞く」シリーズ〈15〉の『鈴木書店の成長と衰退』の小泉孝一は、この新思索社の経営者であった。
このインタビューは2011年11月に行なわれたのだが、その直後から連絡が取れなくなり、四方八方手を尽くしたけれど、探すことができなかった。そのためにインタビューは3年ほどペンディングになっていたのである。
しかし取次の危機も顕在化してきたため、そのままにしておくには惜しいこともあり、あえて刊行したという事情も付随していた。
だがこの本の刊行後も、小泉の消息への多くの問い合わせは寄せられたが、本人からは何の連絡も入らなかった。
そしてそれから2年後に、新思索社破産と小泉の死の知らせを受けたことになる。だがいつ亡くなったのか、在庫はどうなるのか、破産に至る経緯と事情はどうだったのかは、まだ何も伝わってこない。
彼には世話になった人たちも多いはずで、それらが判明したら、本クロニクルで報告するつもりでいる]

 新思索社の破産は別に驚かない。弱小零細でほとんど出版活動をしていなかっただろうから。代表的な出版物であるバーガーの『社会学への招待』、ベイトソン『精神の生態学』はかっての現代思想フリーク、人文書の棚担当者にとっては馴染みのある書名である。それ以上に小泉さんがお亡くなりになっていたということが、やはりというか、やっぱりという思いもありつつも、旧知の方であっただけに淋しさとともに受け止めた。
 ここで書かれている『鈴木書店の成長と衰退』も読んだが、その後書きで2011年11月に行われたというインタビュー直後から小泉氏と連絡がれなくなっているという記述が衝撃的だった。
 小泉さんは自分が鈴木書店に勤めていた当時の直属の上司でもあった。真面目で出版販売に情熱を持った方でもあったが、直情的でよくも悪くもおっちょこちょい、軽率、脇が甘い部分もある方だった。会社を辞めて出版社に移ってからも時々は声をかけていただき、神保町や池袋で酒をご馳走になった。思索社の社長をされている頃は、「僕は会社に泊まるから」といって別れることも多かったと記憶している。
 今の仕事に就いたのも実のところ小泉さんから回ってきたお話しだった。その頃ちょうど仕事を変わったばかりで、地方出版の営業責任者というまた微妙な仕事を始めたばかりだった。さすがに仕事の話といっても、移ったばかりなので固辞したつもりだったが、会うだけ会ってみてくれといわれて、先方の話を聞いた。そのあとで意見を幾つかまとめてレポートにしたところ、どうしてもみたいな話になってみたいな顛末だったと思う。
 そういえば昔、某広告代理店の依頼ということで、出版販売について20数枚のレポートを書いたことがある。今からすればかなり不出来な内容だとは思うが、それでも10数万かそこらのギャラが出たように思う。そのレポートを思索社時代の小泉さんに見せたところ、「君、これはよくまとまっていて参考になるよ」と嬉しそうに話していたのも覚えている。
 最後に小泉さんから連絡をいただいたのはいつだったか、お手紙で癌を患ったことなどを近況を含めてお書きになっていた。その頃の自分はというと、多分カミさんが病気で倒れ身障者になった後で、必死に生活を立て直すのに躍起になっていた頃だと思う。すぐにお見舞いにいけば良かったのだが、簡単な返事を出してそれきりになってしまった。
 その後はなんとなく音沙汰がなくなり、年賀状も来なくなってしまっていた。小田氏の本にある2011年以後連絡が取れなくなったということとも一致するようにも思う。おそらくこれは推測でしかないが、癌の闘病が長引いたのだろう。
 しかしお亡くなりになったのはいつ頃のことなのか、気になることではある。自分が世話になった方、仕事のうえで、人生のうえでの諸先輩が少しずつ亡くなっていく。還暦を過ぎた身であるのだから、それは自然のことなのだろうが、淋しくも思う。自分は多分取るに足らない人間だから、おそらく家族以外の誰かに影響を与えるような人間ではないし、家族以外の記憶に残ることもないだろう。でも、自分が関わった方、世話になった方々のことは出来るだけ覚えていたいと思う。