10年が経った

 ほとんど過去の日記を読むことなんてしないのだが、気がつけばHatenaダイアリーを利用してから10年以上の月日が経っている。断続的ではあれこれほど長く日記なんてものを続けているのは長い人生の中で初めてのことだ。そしてその10年はまた妻が病気で倒れて障害者となってしまった月日とそのまま重なるのである。試みに10年前のあの衝撃的な出来事を振り返ると。
妻がたおれる - トムジィの日常雑記
 それからの10日間くらいの看病の日々。
2005-11-24
 本当に10年という月日が経ってしまったのだ。当時40代後半だった私は来年還暦を迎えるし、小学二年生だった娘は来年高校を卒業する。10年という月日はそういう年月だ。本当に、本当にいろいろなことがあった。
 それ以上、この10年は妻にとっては方麻痺という障害を受け入れて、必死に動く右半身だけでどうにか生活を送ってきた歳月でもある。自分がもし同じ立場だったら、妻のように自分の状態を受け入れることが出来ただろうかとそんなことを思う。前頭葉にも障害がありある種の判断力の低下を含めた高次機能障害がある。だからこそ前向きでいられた部分もあるのかもしれないと思うこともある。彼女が自分の障害を思いつめたようなことを言葉に表したことはこの10年でもほとんどない。
「時々、元気だった頃の夢をみるのよ。夢の中で私は走っているの」
「スキーをもう一度やりたいと思うことがあるわ」
 時々そんなことを話す彼女の心情を思うと切ない思いになる。
 自分はそんな彼女にきちんと寄り添ってきたのだろうか。自分はいい伴侶だったのかとそんなことをたまに、たまには思ったりもする。もっと彼女の障害が改善される様々な道を手段を、様々な治療法を調べたり、試したりといったそういう努力をを怠っていなかっただろうか。最先端の治療では、死んでしまった脳神経を生きた別の神経に代替させるといった治験があると聞いたこともある。それらを彼女が受けられるようなことについて自分は怠慢でいたのではないかと。
 もちろん生きることで精一杯だったのは事実だ。妻の面倒を見ること、子どもを育てること、そして家族を養うために仕事をすること、それらを全部うまくこなしていたとは思えない。でも出来ることはやってきたつもりではある。いや、そんなに立派なことを言えるわけもなく、また言うつもりもない。
 この10年は本当にいろんなことがあった。でもその10年は次の10年のための通過点でしかないのかもしれない。でも、次の10年自分が生きて迎えることができるのかどうか。自分に課せられているのは少しでも家族がもし自分が先にどうにかなってもなんとかなるように、諸々の準備やら残せるものを残すとかそういうことなのかもしれない。
 まああまり深くいろいろ考えているわけでもないな。10年前の自分が10年先のことなど多分ほとんど考えていなかったのと同じようにだ。いつだって目の前のことにあくせくしながら、10日先、一月先、一年先のことくらいを考えてなんとか凌いでいく、それだけでやってきたのだ。10年先のことなんて誰にもわからない。ただ一年後に備える、そのくらいのパースペクティブで今を凌ぐ、そういうことなんだろう。
 とにかく10年が経った。