埼玉県立近代美術館へ行く


 せっかく埼玉に住んでいるのだからというわけでもなく、一度は行ってみたいとは思っていたのがここである。ウィキペディアとかの記述によればモネの「つみわら」やルノワールピサロピカソ、ドニなどの作品も収蔵しているという。
 北浦和公園の中にあるというのだが、車で行ってみると専用駐車場がない。なので近隣の有料駐車場を探して止めることになる。こういうのは車椅子のカミさん連れている身としてはちょっとアクセス悪いなという感じがした。
 さらに所謂常設展示がなく、当然モネもルノワールピサロにもお目にかかれない。中規模、小規模な企画展があった。その一つが「すごいぞ、これは!」という障害者の作品展。産経の記事がけっこう詳しくかつわかりやすいので全文引用する。

「すごいぞ、これは!」展…ハンディキャップ抱えた作家が突き進む 心揺さぶる作品群(1/2ページ) - 産経ニュース
近年、専門の美術教育を受けていない障害のあるアーティストの作品が注目され、各地で展覧会が盛んだ。現在、さいたま市埼玉県立近代美術館で開かれている「すごいぞ、これは!」展では、ハンディキャップを抱えた作家の作品が披露されている。そこには驚くような独創的な世界が広がっている。
 「無題(漢字シリーズ)」は一見すると、モノクローム幾何学的な図だ。近づいて見ると無数の漢字がびっしりと並んでいる。漢字に執着する喜舎場盛也(36)は、見ながら書き写すのではなく、自身が覚えている漢字を書き連ねている。自身のこだわりで漢字の配列を考え、余白を意図的に作っているようだ。
 特定のものへのこだわりは伊藤輝政(40)の作品にも見ることができる。電飾で飾った“デコトラ”など紙製のトラックを制作。幼少期に映画「トラック野郎」シリーズを見たことが契機となり、約30年間で800台もつくっているという。
 心の闇や不安を表現した作品もある。「しろ」という名の30代の女性は、少年の体が土に埋まっていたり、電線につかまっていたりする超現実的な情景を描写。幼少期の体験から、作者は家族以外の人とコミュニケーションができなくなってしまったという。登場する人物は悲しそうな顔の少年で、作者は自身の心の叫びを少年の身を借りて発しているのかもしれない。
ほかにも、テレビで見た演歌歌手やポップシンガーをデフォルメし、強烈な色彩で描いた田湯加那子(32)、好きな写真を何年も触り続け、磨耗させて絵画や壁画のような画肌を醸し出す杉浦篤(45)…。まさに「すごい」を実感する。12人の出品者は心や体に病を抱え、ほとんが専門の美術教育を受けていない。いずれも美術館の学芸員や美術の専門家が推薦した。
 美術の教育を受けず、既成の芸術の流派にとらわれないアートの展覧会は日本でも平成5年の「パラレル・ヴィジョン」(東京・世田谷美術館)以来、各地で行われている。しかし、本展のような複数の専門家による推薦制は初の試み。推薦者が自信を持って選んでいるだけあって極めて質が高い。
 「最初の発見者は家族や福祉施設の関係者でしょうが、美術関係者の役割は『すごい』『面白い』と言い続けること。そうすることで作品が捨てられてしまうのを防ぐことになる」と同美術館の前山裕司学芸員は話す。
 明確なコンセプトを持って表現する美術家とは大違い。人がどう見ようと関係なく、自分がやりたいことに突き進む。ひたむきさには驚くばかり。アートとは何かを考えさせ、心を揺さぶられる。(渋沢和彦)産経新聞2015.10.22

 障害者アートはアウトサイダー・アートアール・ブリュットというジャンルの一つなのだという。
アウトサイダー・アート - Wikipedia
 正直、展示しているもののすべてが「すごい」わけでもないし、ある意味知的障害者の執着行動や反復行動から生まれたものもある。しかし、健常者よりも感受性が豊かで様々なことに感応し、それを独特な形で表出する、その一形態としての作品という面もあり、驚かされるようなものも多数あった。
 ただし、彼らはみな病んでいるのである。健常者もまた日々の生活の中で多かれ少なかれ病んでいるのだとすれば、その度合いが圧倒的に強い。しかも身体面での障害も同時に有している者たちもいるのだ。彼らの病んだ精神、身体が描いた作品は、ある種の爽快感をもったもの、繊細な機微を感じさせるもの、ストレートに不気味な感覚、あるいは露骨な気持ち悪さなど様々なものを感じさせる。
 気がつくと私は自閉症の三十代の女性だというしろという作家のイラスト、気弱な少年が外的世界から一身に攻撃を受けて傷ついている絵に、その自死のイメージに感応し、落涙している始末だった。つらく悲しい絵だった。