マグリット展


https://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/exhibition/2015fiscal_magritte.html
マグリットは所謂シュルリアリズムとは多分違うのだろうと思う。ダリやキリコのような夢、あるいは精神分析的なテーマや奔放なイメージの展開とは何か異なるような気がする。あくまで理知的で言語的なイメージ。絵とおよそかけ離れた意味深なタイトル。それは後付のあらゆる解釈を許容するような雑な感じだ。多分相当に人を食ったようなタイプの人だったのではと思う。
とにかくぽんと観る者に謎かけをしているような絵を面白がることが出来るかどうか。マグリットの絵を消費できるかどうかは多分、観る側のそういう部分にかかっているように思う。で、自分はというと十分に楽しむことが出来た。いや実際のところ、マグリットでとにかくお腹が一杯なった。
<大家族>

マグリットの代表作で有名な作品。とはいえこの絵のどこが大家族なのか、意識、無意識を含めて関連づけられるようなモチーフなり、イメージは存在するか、おそらく皆無である。マグリットにそういう突っ込みは無用だ。
<自然の驚異>

これは比較的判りやすいイメージだ。通常の人魚の図を上半身、下半身を逆転させることによって生まれるグロテスクな容貌。我々が一般にイメージする人魚の図、多分それはたいていの場合、アンデルセンの人魚姫とかから喚起されるものだろう。それに対しての悪趣味な解法である。多分、マグリットは意地の悪い人間だったのかもしれない。
白紙委任状>

タイトルとの乖離も甚だしい。ここまで来ればお見事としかいいようがない。かなり好きな作品である。見えるものと見えないものを同時にキャンバスの上に表象する。視覚によって認識されるものは、常に見えるものと実は見えないものによって総合されている。その視覚的錯誤が静謐なタッチで描かれている。
観ているうちになんとも言い難い気分になる。絵に酔う、そういう感じだ。視覚錯誤を促すかのように、この絵は遠近的にも歪んでいる。意識の中での混合を求めるそういう絵だ。
<人間の条件>

窓から観た景色の一画が絵の中のキャンバスによって切り取られている。メタ絵画とはこれだというような作品。風景画は自然を視覚的に切り取ったものだとすれば、これはその悪乗りである。オリジナルと切り取られた複製の絵とを同時に描く、このイメージは他にも「野の鍵」とかでも繰返される。
<恋人たち>

多分、マグリットの絵で一番好きなのがこれだ。タイトルと絵の乖離はほとんどない。マグリットにしてはとてもわかり易いモチーフ、テーマかとも思う。
恋人たちは相手の実相を知らない。より皮相な言い方をすれば恋は盲目である。それを少しばかり意地悪く描けば、こういうことになる。恋愛の諸相のイメージとしては平板だが、ある種人間が人間を理解することの難解さにも通じているようにも思うし、恋愛の深遠を思い知らされるような気さえする。
このイメージを増幅させた悪乗り実験映画とかあっても良かったかとも思う。登場人物はみな白い布をかぶっている。彼らは会話し、生活し、恋する。そういうような映画だ。アラン・ルネあたりが十代の頃に8ミリあたりで作っていてもよさそうなのにと思ったりもする。とはいえアラン・ルネはそれほど凡庸な映像作家ではないとも思う。