新印象派展再訪

前回、1時間ちょっとで駆け足で巡った展覧会だったが、このままだとたぶんずっと後悔してしまいそうだったので、モチベーションの高いうちにもう一度とばかり上野東京都美術館に足を運んだ。今回も車で、車椅子の妻を連れての道行。2時少し過ぎに美術館に着いたので3時間強は鑑賞できる。この規模であれば十分過ぎるかとも思った。
時間が早い、しかも休日となると当然、人気の美術展なので見学者も多い。最初のモネやシスレー等の印象派の部屋からして凄い人手。妻のことを考えると列に並んでゆっくりと見学していかなくてはならない。みんな解説はゆっくり読むし、イヤホンガイドの該当作はなかなか進まない。これはストレス溜まるなと思いつつも妻をおいていくわけにもいかない。印象派からスーラの作品あたりまではゆっくりと列に連なって見学。
ようやくベルギー派、アイエ、リュス、レイセルベルヘ、クロス等のあたりからばらけてくるので、妻には自走してもらい、一人で回る。前回は駆け足できちんと観ていなかったリュス、アンリ・エドモン・クロス等を中心。
前回も感じたことで、若干ギャグなのではあるが、点描派は次第に点が大きくなり、色鮮やかな面に近くなったところでフォーヴィズムへと展開する、そんな勘違い的な理解を持ったのだが、あながち間違っていないのではないかと思った。
そのへん代表はまちがいなくクロスなのだが、彼の絵はほとんど新印象派というよりも、表現主義ナビ派に近いようにも思った。おそらく多少とも浮世絵の影響もありつつ、静的で平面的な表現の点描。それが次第に鮮やかな色彩を帯び、点画は色彩の帯の集合のようになっていく。そしてその流れからマティスが出てくる。実際、マティスはクロスの影響を公言しているし、二人は地中海の避暑地サント=ロペ周辺で活動していたので交流もあったようだとか。
<クロス「農園、夕暮れ」>

<クロス「若い女性 森の空地の習作」

この裸婦とかを見ていると、本当にマティスまでもう一歩という感じだ。
さすがにクロスとか集中して観ていると少し食傷気味というか、点描でお腹いっぱいとなってくる。そうなるともう一度最初の印象派に戻ってと。今回はこういうのを2〜3回繰返した。時間が遅くなると人も減ってくるので、モネやピサロもゆっくり観ることができる。
解説文の中で印象派の手法は筆触分割にあるという。絵の具は混ぜ合わせていくことで濁ってしまう性質がある。光は三原色が混合すると白く輝くが絵の具はグレーに濁る。外の明るい世界を描きたかった印象派の画家たちは、混色をせずに絵の具を置き並べることによって光の世界を描こうとした。近くで見ると様々な色の点でしかないが、離れて見ることにより鑑賞者の目の中で色が混ざり合い、明るい色彩を放つ。これを筆触分割という。
この技法をより理論的、科学的にアプローチしたのがジョルジュ・スーラであり、彼の技法から点描絵画が生まれた。それをいち早く評価し自らその手法を取り入れたのが、当時印象派のリーダー格であったカミーユピサロだという。
ピサロは他の印象派に比すとやや凡庸な感じがある。でもキラキラと美しい色彩や素朴な田園風景を描いた作風は嫌いではない。というより私自身は大好きな画家でもある。そのピサロはかなりの点数を点描を用いて描いてもいる。ただしこれは一過性の影響であり、次第に元の印象派の手法に回帰していくらしいのだが。
ピサロ「ポントワーズのロンデスト家の中庭」

まさしく印象派ピサロである。1880年の作品。この絵は倉敷の大原美術館所蔵だとか。いわれてみれば観たことがあるようにも思う。
ピサロ「庭の母と子」1886年

ピサロ「エラニーの農家」1887年>

このへんがピサロ流解釈による点描技法。スーラやシニャックのそれとはまったく異なる。ある意味印象派の可能性を広げたような作品だと思う。
そして最後に初めて目にする画家だったのだが、けっこう気にいったのがマクシミリアン・リュスだ。図録の解説によるプロフィールはこんな風である。

労働者が暮らすモンパルナスの一画で育ち、1872年から木版画家の下で修行した後、版画家として生計を立てる。修行時代にアカデミー・スイスの夜学に通い、カロリュス=デュランからも教えを受ける。次第に版画家としての仕事が減り、画家になることを決意。1885年頃からスーラの影響で新印象派の様式を採用。1887年よりアンデパンダン展に出品し、以降出品を続けた。政治的関心が強く、アナーキズムの新聞や雑誌にも挿絵を提供しており、1894年には権力側からの弾圧により一時収攬されたこともある。庶民や労働者への関心を持ち続けた彼は、貧しい地区や工場の景観、労働者の働く姿を多く描いた。

なるほど政治的関心が高く、労働者や工場の景観を描くか。確かに新印象派の画家の中では題材が異なる。もちろん普通の景観や自画像とかも描いてはいるのだが、働く人々の姿や工場の絵も多い。中にはほとんどプロレタリア・アートあるいはプロパガンダ用小冊子の挿絵みたいな画風のものもある。
多くの点描画、新印象派が総じて静的な感じを与える中、リュスの作品にはどことなくダイナミズム的なものがある。それは労働者への眼差しみたいなものからくるのだろう。彼は生粋のアナーキストだったという記事も読んだことがある。
<マクシミリアン・リュス「シャルルロワの高炉」>

<マクシミリアン・リュス「ルーヴルとカルーゼル橋、夜の効果」>