通夜に行く

知人の通夜に行ってきた。享年56歳だったか。末期の肝硬変で先週あたりから危篤状態に陥っていた。先週の金曜日に重篤との連絡があり病院に行ったがすでに意識もない状態だった。
正月に友人と一緒に見舞ったときはまだ話もできた。話には聞いていたがその容貌の変化には正直驚いたものだ。顔はほとんど老人のようだったし、体全体がやせこけているのに腹だけが異様に膨れていた。復水が溜まっては抜くを繰り返しているとのことだった。帰りに友人と二人、あの病気は黄疸が出たらヤバイんだよなといったことを話した記憶がある。
その黄疸が一月くらい前に出たという話を別の友人から聞いた。一度退院して通院治療をしていたのだが病状が悪化して再入院してすぐのことだったらしい。一度退院してはある意味、医師からも匙投げられていたのかもしれない。
知り合ったのは最初に勤めた職場だった。私の一年後輩として職場に入ってきた男だった。上司も20代だったしとにかく若い職場だった。無我夢中かつ無手勝流で仕事していた頃だ。まともな教育とかもなかったし、とにかく体で仕事を覚えるという感じだった。そしてお互い遅くまで仕事したあとに浴びるように酒を飲んだ。
最初に出来た後輩、部下だったから始めの頃はほぼ頭ごなしにどやしつけたりとかもあったか。彼も仕事を覚えるようになるとずいぶんとぶつかった。胸倉つかまんばかりに言い争ったことも一度や二度じゃなかった。本気で殴りつけてやろうかと思ったことも何度かある。
数年で私がその職場を辞めてからはほとんど関係は切れたはずだったが、共通の友人が何人かいたからか、たまに数人で酒を飲むみたいなことがずっと続いてきた。職場を転々とする私を揶揄して「相変わらず落ち着きないね」と軽口をたたいてくる。私は私で独身を続ける彼を「いい加減、女でも作ったらどうだ」と毒づく。お互い皮肉屋同士でたまにあっては憎まれ口をたたきあうという関係だった。
友人に聞くと彼はあまり職場に、上司に恵まれなかったようで、仕事のストレスを溜め込み、それをすべて酒で解消していたという。ここ数年は肝機能の数値が半端じゃない状態だったとも聞いた。それでも酒をやめることはなかったらしい。命縮めながら酒を飲み続けた。
と、ここまで書いてみても、やはり私は彼をあまり好きではなかったのだろうなと思い立った。たぶん彼も同様だったろう。なのにやや遅れていった通夜の場で、祭壇に飾られた遺影を前にして、私は破顔した。いや落涙といったらいいのか。それから友人たちの輪に入っても涙を流し続けた。
老いて涙もろくなったから。たぶんそれが総てかもしれない。しかし同じ時代を生きた人が、同じ職場にいて本を検品し、品出し陳列する。本を売り、売れ残り品を共に返品した。仕事や読んだ本のことを肴に口角飛ばして酒を飲んだ。まさしく同世代の仲間だった男がわずか56歳で旅たっていった。そのことが無性に淋しく、哀しかった。
通夜の後何人かの友人たちと酒を飲んだ。しこたま飲んだはずなのだがちっとも酔えない。そんな夜だった。