公共図書館考

夕刻、あんまり眠いので久々鶴ヶ島の図書館へ行く。もうこの時点で本末転倒ものだが、運転していて近くで休息できる場所が欲しかったのも事実。
ここには何度か行ってはいるのだが、印象としてはなんというかまあ普通の地方都市の図書館というイメージ。自分の中で公共図書館というと横浜の市民図書館、県立図書館ぐらいしか知らなかったのだが、埼玉に引っ越してきて最初に住んだ大井町の図書館で感じた印象が正直いって、「こじんまり」「ちんけ」というものだった。そりゃ大都市横浜の中央図書館から比べればたいていの地方図書館はこじんまりだろうとも思うのだが、残念だがそれが正直な感想。
すでに大井町でそういう洗礼受けているだけに鶴ヶ島の図書館の感想はというと「普通」・・・・、以上というものだった。具体的にいえば低い棚と高い天井により開放感がある。それでいて蔵書量はまあ普通にあり。80年代以降に作られた公共図書館がどこでもそうであるように幼児〜未就学児童用の絵本のスペースも大きくとってあり、いかにも子育て支援してます的な作り。さらに2階には多目的スペースも基本的には設置してある。しいていえば公共図書館の定番である中高生向けの学習スペースがやや少ない印象だ。
こういうオープンで多目的スペースも完備してというのが今流行りの図書館のあり方なんだろう。ちなみにここも運営というか図書館司書は総てアウトソーシング、時給うん百円でTRCが非正規雇用で雇っている。そう運営主体はTRCなんだな。
だから選書にしろ、品揃え、棚作りも当然TRCの画一的なソフトに沿ったものになっているようだ。
こういってはなんだが、日本全国どこの本屋に行ってもたいてい金太郎飴のような品揃えになっていることが多い。それはある部分大取次の指導なり配本にそった形だからだろう。それと同じことが公共図書館にもある。選書というか購入図書もTRCのストックブックからの見計らい中心だろうし、品揃えなり棚の作りは例によって10進法分類によっているだろう。小規模、中規模、大規模どの場合によっても棚作りと品揃えはおそらく画一化されている。いってみれば松竹梅みたいなものだろう。
これに地域関連の図書を集めた郷土コーナー作って、母と子の本コーナー作ってはい一丁上がりというわけだ。
だいたいにおいて今は図書の購入予算も削減に次ぐ削減だ。図書館営業をやっている出版社の営業とたまに飲んだりしても、どこも予算がないって話ばっかりでというのがここ10年くらいの傾向だ。
さらには図書館のアウトソーシングの問題だ。今や図書館司書は派遣あるいは時給によるアルバイト。ほとんどが非正規雇用だ。それでいてきちんと選書、棚作り、図書館運営なんかできる訳がない。なんでこうなったのか。市民図書館は民主主義の基本施設の一つだったはずなのに。天国の羽仁五郎先生や中井正一先生に申し訳ない思いも。
とはいえ利用率が少ないこと、ようは市民が図書館を利用しない、活字離れで本など読まない。だから予算もどんどん減らされていく。苦肉の策で図書館が始めたことは、客寄せならぬ利用率を上げるためにベストセラー本の大量購入やコミックの蔵書化だ。これがまた近隣書店等との軋轢に繋がっている。
別に図書館に対して悪意を持っているわけではない。自ら仕事をしている本の業界と図書館利用の低下、購入予算の削減等がすべてイコールとなっている状況に対する苛立ち、焦燥感、そういうものがあるのだ。
図書館に対する様々な思い、もろもろ、ここのところtwitterにも連続投稿してもいる。少しずつそうしたメモを元に自分の考えをまとめてみようとも思っている。
余談になるがtwitterをやっているとブログへのエントリーが極端に減る。ツィートは思考の断片、思いつき、言いっぱなし、簡単だからだ。思慮だの熟考とかは考える必要がないともいえる。逆に日々思い浮かべること、アイデアその他を記録するメモとした場合、これほど有効なツールはないかもしれないとも思う。ツィートからこうやって日記で散文化する。そういう流れになっていけばいいとも思っている。