ボブ・ディラン・ライブ

  ボブ・ディランのライブを観てきた。場所はお台場のZepp DiverCity。最初Zepp東京だとばかり思っていたのだが、違うんだよね。Zepp東京は去年リンゴ・スターを観に行っているので、Zeppという言葉であああそこねみたいに思っちゃいました。しょうがないよ、田舎者のオッサンなんだから。Zepp東京の最寄り駅はゆりかもめ青海駅Zepp DiverCityりんかい線東京テレポート駅ゆりかもめ台場駅。まあどうでもいいことだけど。
 だけど当日Zepp東京では前田敦子のライブやっていたので、間違えるととんでもないことになっていたかも。ディランのライブは当然ジジババ中心のはずなのに、青海駅降りるとハチマキ、眼鏡でリュック背負ったオタク系小僧ばかりで、なんだ今日のディランの客層はみたいな違和感感じてたかも。実際、途中スマホZepp東京のサイト検索してもディランの名前がないので、けっこう焦ってたりしたんだよね。で、ウドーのサイトとかでDiverCityを確認して、すぐに友人に待ち合わせ場所変更お願いしたんだ。
 この手の勘違いはよくするほうで、大昔、たぶん高校生の頃だと思うけど、映画の試写会が当たったので勇んででかけた。場所は新橋のガスホールだったんだが、チケットの文字が小さいので、新橋を新宿とすっかり勘違いして、ずっと新宿で探し回って結局観ることができなかった。聞けばいいのにそれが出来ないんだよね。
それからすれば一応ぎりぎりとはいえスマホで調べるとは、なんて大人になったもんだよと小さな感慨も・・・・・、あるわけもなく。
 で、ディランである。たぶん記憶、拙い記憶によれば、一度行ったことがあるはずなのだが、これがまた裏覚えで。たぶん武道館で、初来日の時かあるいはハート・ブレイカーズと一緒に来た時か。これがさっぱりはっきりしねえ。確か行ったはずなのだが、ひょっとしたら行ってないかも。最近は人の経験が自分の経験になったり(追体験ってやつですか)、その手の勘違いざらにあるので。もうジイサン駄目かもしれない、みたいな感じよ。
 で、でっ、ボブ・ディランよ。正直、きちんと聴いてない。アルバムだってもっているのはグレーテスト・ヒット1〜3とかそんなものよ。よく聴いていたのは「血の轍」「欲望」あたりまでじゃないか、そう高校生くらいまでね。その頃はギター抱えていっぱしのホーク(違う)、フォーク少年だったから、吉田拓郎とかのフォロワーだったので、拓郎とかがまあそのへんのフォーク系がみんな影響受けたというディランを聴くようになったみたいな、まあそんなもんよ。
 だから初期ものはずいぶんと聴いたし、一丁前にコピーとかもした。カーター・ピッキング、スリー・フィンガーとかさあ。けっこう完コピした曲もあったんだけどね。もう30年も前のことになるけど。
 なので正直、80年代以降のディランはほとんど知らない。15〜16枚もアルバム出てるけど、通して聴いたものはほとんどないな〜と、そういうことなのであるわけだ。
で、でっ、でっっ、今回のディランである。例によって当日のツィートを引っ張ってみる。

ボブ・ディラン!予想以上にいいぞ。知らん曲ばかりだが、演奏、雰囲気、すべてにおいていい。ディランはいつからキーボードプレイヤーになったのか。あれはヘタウマってやつか。

 そうなのだ、雰囲気、演奏、歌、すべてにおいて良いのである。正直、自分がこれまで行ったライブの中でも5本の指に入りそうなくらいに良いのだ。だが、いかんせん、舞台にいるのは私の知っているディランではないのである。まずギターを弾かない。昔のディランであれば、ある意味トレードマークであったはずのギターがない。マイクの前に仁王立ちして、右手をマイクに置き、左手を腰にそえてというのが基本スタイル。さらにはハーモニカは左手持ちで吹く。
 バックバンドにはなぜかキーボードがいないと思っていたら、ディランがキーボードの前に立ち弾きながら歌う。ディランはほぼバンドのキーボード・プレイヤーの位置にいるのだ。そのピアノはというとまあ味わいがあるとでもいうべきなんだろうが、はっきりいってヘタ。音ははずし、リズムも悪い。途中でリードギターと掛け合いで演る部分なんかでは、ギターがもう慎重にたとえ御大がはずしても俺は着いていくぜみたいな、そんな感じでフォローしてた。ちなみにギターはチャーリー・セクストンでした。
 そんな演奏スタイルであってもまったく破綻はない。バックバンドはもう職人的だし、たぶん長いことこのメンバーで演っているんでしょう、ディランのヘタウマキーボードもほとんど織り込み済みということなのでしょう。
 セットリストは以下のサイトが参考になりました。こういうのがリアルタイムでアップされるというのは本当に凄いことだと思う。有難く引用させていただく。
ボブ・ディラン 2014年4月1日 Zepp DiverCity第二夜ライヴレポート by菅野ヘッケル | ボブ・ディラン | ソニーミュージックオフィシャルサイト

1.Things Have Changed
2.She Belongs To Me
3.Beyond Here Lies Nothin'
4.What Good Am I?
5.Waiting For You
6.Duquesne Whistle
7.Pay In Blood
8.Tangled Up In Blue
9.Love Sick
(Intermission)
10.High Water (For Charley Patton)
11.Simple Twist Of Fate
12.Early Roman Kings
13.Forgetful Heart
14.Spirit On The Water
15.Scarlet Town
16.Soon After Midnight
17.Long And Wasted Years
(encore)
18.All Along The Watchtower
19.Blowin' In The Wind

 知っている曲は「She Belongs to Me」「Tangled Up In Blue」、アンコールの「見張り塔からずっと」「風に吹かれて」ぐらい。ただしどれもアレンジ(あれをアレンジというなら)がきつく、ほとんど原曲をとどめていない。歌詞からなんとなくあれはそうじゃないかみたいな感じである。といっても英語わからんから、当然歌詞内容もわからんので、なんか違う曲で適当に「Blowin' in the Wind」とか「All along the watchtower,princes kept the view」とか歌っていてもわからん訳だ。
 しかし、この演奏は圧巻でもある。ディランといえばフォークロックあるいはブルース、あるいはウィディ・ガスリーのようなフォークソング的意味あいが強いのだが、今回の演奏はといえばどちらかといえばカントリー&ウェスタン色が強い。ディランの志向性がたぶんそういう方向なのかもしれない。
 バックバンドは一緒に行った友人にいわせるとネヴィル・ブラザースみたいということらしいのだが、まあ普通に手練な職人みたいなメンバーっていう雰囲気である。特にサイド・ギター、ベース、ドラムといったリズムセクションにそれを強く感じる。まあギターのチャーリー・セクストンはどちらかといえばロックスターみたいな出自なので、ちょっと毛色が違うような気もするが。このセクストン、ある時期テデスキ・トラックスのゲストで来ていたドイル・ブラムホール?と一緒にバンド組んでいた時期もあるのだとか。まあどうでもいいか。メンバーは以下のとおり。

ボブ・ディラン (Bob Dylan) :Vocal, Harmonica,Piano
トニー・ガーニエ (Tony Garnier) :Bass
スチュ・キンボール (Stu Kimball) :Guitar
ドニー・ヘロン (Donnie Herron) :Pedal Steel,Banjo, Violin, Mandolin
ジョージ・リセリ (George Recile) :Drums
チャーリー・セクストン (Charlie Sexton) :Lead Guitar

 最終的な感想はというとこれもツィートから引っ張る。

ディランはバリバリ現役だったつうことやね。懐メロやって客に媚ようなんて気さらさらない。いい曲、いい演奏が多かったけど、ディランは進化してるみたいな大絶賛する気もないな。なかにはC&Wのムード歌謡みたいなのもあったし。

久々のディラン体験で思う。〈天才〉は変化する。でも凡庸たるファンは、一般ピープルは、いつまでもある地点、彼らが天才の創作をもっとも享受したところに留まっている。彼等は懐かしき感受性溢れたあの頃へのノスタルジーとか追体験とか、つまりはそういうことしかないんだ。そこに齟齬ができる。

 つまりはそういうことだ。この日そこに集ったファンも多くは、たぶん私と同じように馴染みの古いヒット曲を聴きたかったのかもしれない。オープニングは「くよくよするな」とか「川の流れをみつめて」あたりで、中盤に「雨の日の女」「レイ・レディ・レイ」「イフ・ナット・フォーユー」とかが入り、ラストは「Just Like a Woman 」から怒涛の「Like a Rolling Ston」。アンコールで「Knockin' on Heaven's Door」とか、そして最後に「風に吹かれて」で大円団、ああカタルシスみたいな。
結局のところディランはポールとは違うってことだ。あくまでアーティストの矜持みたいなものを徹底させるっていうことだ。72歳であってさらに前を行こうとする姿勢は凄みを感じさせる。ポールのように観客が何を求めているかを意識し、観客に最大の喜びを与えるためにパフォーマンスするというのとはもう真逆ということだ。どっちがいいか、これはもう一概にはいえまい。どっちにしろ、我々は20世紀の偉大なアーチストのフォロワーとしてずっと彼らの作り出すサウンドを享受してきたんだから。
 たぶんこの調子だとディランはもう数回来日して良いライブをやってくれるかもしれない。ポールだって半年足らずで再来日するのだし、バート・バカラックなんて85になってもやってくる。それもいいと思う。でも、たぶん、たぶんだけど私はもうディランのライブには行かないような気もするな。今回のような良いライブを聴いた後で、ディランの懐メロ大会みたいなライブはたぶん聴きたくもないとも思うし。さりとて年が行けば当然今日みたいなパフォーマンスは難しくなるだろうから。
最後に改めて思う。良いライブだった。我が人生にあっても最良のライブの一つだった。