ラファエル前派展

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朝からずっと家事に追われて。朝食、弁当作り、子ども学校まで送り、帰ったら山のような洗濯物片付けて、それから掃除。午後は一週間分の買物。解放されたのは5時過ぎ。で、それから気合でノコノコ六本木まで出て来てきて、閉館間際のラファエル前派展見てきた。ミレイとロセッテイは良かった。

そうなのである。やさぐれると絵を観に行ったりしたくなると。まあそういうこともないのだが、以前大塚国際美術館に行くと気になる絵があり、正月に観たときにもなんとなくひっかっていたころ帰ってくるとすぐにその絵が日本にやってくるという。なんという偶然、ある種の啓示のようなものではないかと、まあそんな風に思ったわけである。
それがラファエル前派であり、大塚でいつも気になっていたのがこの絵である。
ジョン・エヴァレット・ミレイ作『オフェーリア』

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作『モンナ・ヴァンナ』

オフェーリアははっきりいってリアルな水死体でしょ。ミレイはモデルにドレス着せてバスタブに沈めて描いたといわれている。周囲の木々、草花もリアルで、徹底した写実性。精神的に病み溺死したハムレットの恋人、薄幸の美女はまだ生きているような風情もあり、なんともこの世のものと思われない。これがムクっと起き上がったら相当に怖い。そういうなんともおどろおどろしたものを感じさせる絵だ。
だがなんとも後を引くというか、なにかしら観る者をひきつけるものを持っている、そういう絵だ。
さらに『モンナ・ヴァンナ』だが、美人だがなんつうか自我の強さというか、底意地の悪そうな面構えというか、なんとも堂々たる存在感である。こういうの美女が近くにいたらとりあえず「ごめんなさい」といってしまいそうだ。
この二枚、ラファエル前派の代表作として大塚国際美術館に飾ってあり、けっこう気になっていたのだ。それではラファエル前派とは何か。長くなるけど大塚国際の図録『西洋絵画300』から引用する。

イギリス絵画は18世紀後半にホガース、ゲインズバラ、ブレイクなどが輩出するにおよんでようやく国際的水準に達したが、画壇を支配していたのは、ロイヤル・アカデミーの旧態依然とした体制であった。そんな型にはまった教育と生気に乏しい芸術に不満を抱いた画家たちが、新しい自由な芸術創造を旗印に1848年結成した集団がラファエル(Pre-Raaphaaelite-Brotherhood:PRB)である。七人の創立メンバーのうち、とくに重要なのはハント、ロセッティ、ミレイであるが、彼らはみなロイヤル・アカデミーに通う、20歳前後の若者であった。彼らの大きな目的は、ルネサンス時代のラファエッロ(英語ではラファエル)以後、アカデミックな形式主義、伝統主義に陥っていたヨーロッパ絵画を見直し、そこからの再生を図ること、つまりラファエッロ以前の絵画に倣うことであり、それが、危機に瀕した現代美術を救う道と彼らは信じていた。それは一種の復古主義であり、マネや印象派ほどの新しさをもたないにもかかわらず、保守陣営からしばしば批判、攻撃されたことは、彼らの作品が当時としてはいかに規格外であったかを物語っている。
その徹底した細部描写、美しいもの醜いもの、気高いもの卑俗なものも区別なく、等しく描いてしまう自然主義のゆえに、ラファエル前派は時に容赦ない酷評を受けたが、彼らは神の創造物としての自然のすべてを忠実に再現することに芸術の大きな意義を見出したのである。彼らの作品はまた、過去ないし同時代の文学作品にも多くを負っている。とくに愛と死にまつわる主題が多く、その意味ではロマン主義に近く、その細部描写にはさまざまな象徴的意味が託されていることが多い。

ふむふむ。ラファエル以前の絵画に倣うというのは、ようは古典回帰であり、早い話ルネサンスの古典復興に倣うということだ。まあ時代とともに芸術は形式主義に堕し、主流派は権威化する。そういうものに飽き足らない若い世代の反体制運動みたいな意味合いもありということだ。
とはいえラファエル前派の彼らの手法は細部描写を徹底化させた写実主義であり、美醜をもそのまま描くといことだ。光によって刻々と姿を変える世界の一瞬を捉えようとしたフランスを中心とした印象派とはどうにもベクトルが違う。さらにいえば古典回帰を旨とする分、新味や革新性に欠ける。
とくに予備知識なく観る限りでは正直新しさよりもどちらかといえば古めかしさのほうが強い。しょせんは19世紀の古典復興運動であり、時代を超えた革新運動にはならなかったというところだろう。
どの画家にも共通する画風として感じられるのは色調の暗さか。濃く暗い青と緑をのトーンに貫かれ、とにかく全体が暗い。これもイギリスの風土からの影響とかもあるんだろうかなどと勝手に推測する。
そしてもう一つの特色として文学作品や聖書をモチーフにした作品がある。そうした題材をもとに実際のリアルなモデルを使って描く。そこには様々な誇張、あるいは構図の簡素化によって内面性を暗示させる象徴主義というこの一派のもう一つの特徴があらわれてくる。
ロセッティ作『プロセルピナ』

ギリシア神話に題材をとったロセッティの官能的な作品である。今回の展覧会HPのトップを飾るものだが、そのある種の官能美には引き寄せられる。プロセルピナはザクロの種を一粒食べた後、地下世界(死の世界)で神プルートーの妻となり、地上に戻れば春に迎えられるという二面世界を行き来する。官能的な美人の上半身をとらえたこの絵では、美女の顔は彫り深く、首も異様に太く、さながらギリシア彫刻のようだ。
地下世界と地上とを宿命的に行き来せざるを得ないプロセルピナは何を暗示しているか。勝手な推測ではあるが、モデルとなった女性はジェイン・バーデンとロセッティとの込み入った関係性に起因したものがあるのでは。
ロセッティはミレイの『オフェーリア』のモデルとなったエリザベス・エレノア・シダルと結婚したが、シダルはその2年後に麻薬の過剰摂取で死亡する。一方ジェイン・バーデンはロセッティの友人であり画家、デザイナー、詩人でもあるウィリアム・モリスと結婚していたが、ロセッティとも長く関係を結んでいたらしい。ロセッティはモリスと友人関係にありながらモリスの妻ジェインと愛人関係を結んでいた。その微妙な三角関係の愛憎こそが作品『プロセルピナ』の二次テーマだったのだろう。地下世界と地上を行き来する宿命、なんともありがちな話だ。ロセッティをこの絵を描きながら自らを死者の国の神プルートーにでも模していたのだろうか。
ラファエル前派にはジェインやシダルの他にも魅力的なモデルがいる。ウィリアム・ホルマン・ハントを翻弄したアニー・ミラーや、やはりロセッティの愛人でもあったファニー・コーンフォースなど。モデルがキャンパス上の存在だけでなく、実在のリアルな人物として画家と同様に伝えられることになった時代。これも近代の成せるなんとかというところだろうか。