3.11史観

twitterから。

右であれ左であれ、3.11以後原発のヤバさに気づいた様々な人たちが反原発を唱えている。これはもう既得権益とか党派性の護持といった皮相レベルの問題じゃなく、社会認識や文明史観にも繋がる問題なんだと思う。原発への賛否だけが問題じゃないというが、原発問題は総てに通底している。

歴史の連続、断絶。歴史観を形成するためのある種のエポックメーキングを措定する。それを通じて様々な事象を切り分けていく。1945年8月15日を境にして戦前、戦後という括りで近現代の日本を長く切り分けてきた。それは概ね間違いではないだろう。同じような時代の切り分けは例えば、1960年6月であったり、あるいは1972年の様々な事象であったりもしたかもしれない。あるいは1989年1月をある種の区切りとする人々ももちろんいるだろう。
2011.3.11はたぶんそういうものの一つになることは間違いないだろう。大震災という自然災害による様々な被害もある。それとは異なるファクターとしての原発災害。それに起因する未曾有の事態。漠然とだが、3.11以前、以後ではたぶん世界の位相は異なるものになったんじゃないかとそんな思いにとらわれる。整理された思考とはいえないことだけど。