本の屠殺場

本の消却場を見学してくる。本の墓場ならぬ屠場という雰囲気。長年、本について様々な現場を見てきたが、これは辛い光景。そこで働く者もまたプロ、職人であり、天地、小口を見るだけで紙の種類を分別する。高く売れるかどうかをだ。今日は屠殺された書物のために酒を呑む。悲しい酒だ。

twitterからの引用である。
ツィートしたとおりの感想である。出版物は製本所から、出版物の倉庫から取次に出荷され書店に送品される。運よく読者の目に留まり売れていけばいいのだが、売れ残りは返品される。取次から出版社の倉庫に逆ルートで戻ってくる。取次の返品整理の現場は荒っぽいところなので、出版物は手荒く扱われるので、天地や小口、表紙は薄汚れ、擦り切れている。
出版社の倉庫ではそれらの返品は取次から返ってきたダンボールから出され、ある種のかたまりとしてパレットに棒積みされている。それからしばらくの月日がたつ。新本がなくなったときに初めて返品の中から再生されるために発掘される。
いやこれは比喩の類で基本は単品ごとに選別され薄汚れた状態のまま保管されている。新本が総てなくなり、この商品はもう少し市場価値があるとなったときに、いよいよ返品の中から再生品が作られる。天地、小口にグラインダーで研磨がほどこされ、カバー、スリップを新しいものと取替え、再び市場に出るのを待つことになる。
これは出版物にとって幸福なタイプだ。市場価値がないと判断されたとき、あるいは今後とも市場に出る可能性がないとされたとき、本は消却される。それが本の屠殺場、消却場である。
そこで出版物はカバーやケース、表紙ををはぎとられ、あるもの裁断あれて紙だけとなる。これは上製本で紙質のよいものだ。それは高く売れる。それ以外はカバーを剥ぎ取られそのまま消却籠にどんどん積み上げられる。それから製紙会社に送られ、大きな釜の中で溶解されパルプや再生紙となる。ご愁傷様。
長く出版物の流通や物流現場で仕事してきた。本の消却、溶解については話はもちろん聞いてはいた。しかし実際の現場を見るとやはりそれはショックではある。本は文化である。自分たちは文化を扱ってきたという自負、それらが総て打ちのめされる。そこにあるのは再生される紙ゴミの集積でしかない。今まさに表紙を剥ぎ取られた書籍がある時期どれだけ売れたか、その本が多くの書評で紹介され、価値ある出版物として喧伝されたということが記憶として瞬時に蘇る。しかしその寿命がついえただの紙としての価値だけの存在となる。
センチメンタルな思いになるが、プロたるものドライに、かつクールにふるまるべきなんだろうとも思う。しかし表紙を剥ぎ取るのもある種の職人芸である。1分間に確実に数10冊の本を処理する。ツィートしたように瞬時に本の紙質を判別する。彼らもまた本のプロなのである。