マイルス・デイヴィス「DOO-BOP」

Doo Bop

Doo Bop

  • アーティスト:Davis, Miles
  • 発売日: 1993/05/31
  • メディア: CD
マイルスの遺作、首尾一貫して進取気鋭の人だったマイルスがヒップホップを取り入れた作品なんだと。これがまたなぜか未聴のままだったんだな。だいたいにおいて電化マイルスにはなんとなく足が向かないというか、なんというか。そりゃ「ビッチズ・ブリュー」も「アガルタ」「パンゲア」も聴いたさ、でもなんかノリが今一つというかどうもな〜という感じで結局聴きこむことなかった。結局、記憶に残っているのは、愛聴しているのは「オン・ザ・コーナー」と「ジャック・ジョンソン」ぐらいか。
ジャック・ジョンソン」は名盤だと思う。マイルスが流行りのロック、それもハード・ロックを一丁やってやろうかみたいな感じ一枚仕上げた、そんなアルバムである。しかも名盤である。「どうだ、ロック坊やたち、俺様が本気だしたら、こんもんだぜ」みたいな感じである。
マイルスはいつも新しい音楽、新しい才能を貪欲に取り入れて、それを一気に消化し名作を生み出す。そういう意味じゃ天才的なサウンド・クリエーターだったんだろうと思う。もっともミュージシャンとしてどうだったか。単純にトランペッターとしてどうか。よく言われることだけど、たぶんクリフォード・ブラウンとかリー・モーガンフレディ・ハバードのほうがテクニックだの演奏のドライブ感などは、たぶん遥かに上かもしれない。
これも伝説のごとくよく言われることだけど、マイルスはチャーリー・パーカーの演奏に触れ、同じコンボのメンバーとして近くで接しているにつけ、ジャズ・プレイヤーとしての技量、その他もろもろの点で、自らがパーカーに足元にもおよばないことを痛感した。そこでパーカーとは異なるスタンスでジャズにコミットすることを模索する。それが「クールの誕生」に結実し、サウンド・クリエーターとしての道を歩ませることになったという。真偽はわからないけど、その後の彼の名盤、名演奏を知るにつけ、もっともらしく流布されただろう伝説である。
さてと、そういうマイルスが90年代の初期に台頭してきた新しいブラック・ミュージックの潮流、ヒップホップを積極的に導入しようと動く。彼が白羽の矢をあてたのが当時26歳のクリエーター、イージー・モービー。均質的かつ躍動的な打ち込み系のリズムセクションを相手にマイルスはいつもの、演奏を続け録音は順調に進んでいく。そして突然の死。アルバム製作は中断する。
そしてモービーは残されたマイルスの音源を元に再構成して1枚のアルバムを作り上げる。それが本作である。
聴いた印象はたった一つ、聴きやすい。そして普通に流して聴ける。これは普通にいいアルバムじゃないかと思った。普通を繰り返すのはなぜか。このアルバム、ある種の凡庸さが基調になっているようにも思える。あのマイルスがヒップホップを始めた、さぞや聴き手のドギモを抜くような世紀の1枚になるのではないかと、そんな期待を当時誰かが持っていたかどうかはわからない。でもあのマイルスが当時新しいブラック・ミュージックの1ジャンルとして出現し定着しつつあった時期に取り入れたのである。聴き手はみなかまえただろうことは想像に難くない。
その聴き手のかまえからすると、なんとなく「アレレ」みたいな感じでズッコケる。そんな印象を受ける。もっともこのズッコケは、ある種いい意味でのことだ。普通に聴けて、普通に体もゆれる。ディスコじゃなくてクラブか、そこでも普通にかかり、普通に踊れる、そういうアルバムである。
マイルスは自分の音楽をバックに若者が踊ることがないことに不満を持っていたという。あの「オン・ザ・コーナー」ですら踊れないという評価だった。うむ、確かにあれで踊るのはしんどいだろう。
そんなマイルスにとって、この「ドーバップ」は普通に踊れる。それだけ単調で凡庸だということにはなるのだが。でも最後にダンスナンバーを出せたことは、ある種マイルスにとっては本望だったのかもしれない。

ジャズは30〜40年代のダンス・ミュージックの凡庸さを脱して、内省的なモダンジャズに変貌する。それは限界芸術からメインストリーム的な芸術への転換でもあったのだ。それが80年代以降台頭してきたダンス・ミュージック=ヒップホップと融合する。いわばダンスミュージックからの逸脱そすすめ、最終的にダンス・ミュージックに回帰する。なんかとりとめもなく、そんなことを思ってみた。