怒涛のウィーク、振り返ってみたりして

今週はというと、4役会があり、役員会があり、その合間に6件の面接があり、4日飲み会があり(だいたい会議の流れ)、そのうち3日が都内でしかも水曜から金曜まで怒涛の3連荘だったりして、当然のごとく都内に出ると午前様で最終電車となり、うち2日は最終でも帰れずに電車の終点からタクシーだったり。
もういいかげん年なんだから、こういう生活は確実に寿命を縮めることになるのだろうから、止めた方がいいに決まっているのだが、どこかで死んじゃえば今のハードな生活から抜け出せそうな気もするしみたいな逃げの思いもあったり。でもそうなると今年高校に行く子どものこととか、障害のある妻のこととか、そういうこと考えると、今死ぬ訳にもいかんだろうなどと、酔ってベッドに潜りこんでも意外とかんたんには寝付けずに、目をつぶって堂々巡りの煩悶(そんな大層なことでもないか)したりしていて。そうするとけっこうな頻度で胸がちょっとだけ痛みだしたりもして、いよいよこれはお迎え早いのかななどとまたつまないこと考える。
うちの家系は女性は長命なんだが、男のほうはというと父も祖父もなぜか63歳の年にお迎えが来ている。そうなると自分もその可能性とかを考えていたほうがいいかとも思ったりもする。あと6〜7年である。いやこれは笑えない話でもあるなとも思ったりもする。とりあえず若干の蓄えもあるし、大層な借金もないけど、それでどうにもなるものでもないだろうし、生命保険とかもあるにはあるけど、若干の足しになる程度だろうかなどなど。まあこの手の自分の寿命とかをちょっとばかり意識した思い巡りみたいなことは、初老のオッサンであれば当然のごとくあることなんだろうとも思ったりもする。
くよくよしていても仕方ない、スカーレット・オハラよろしく「明日考えよう」と思うこともある。でもそう言い切れるのは若さがあればこそなんだろうと思ったりもする。困ったことに先送りできる「明日」が確実に磨り減っているということ、それが問題なのである。
そういうクドクドとしょもないことを思いつつさらに今週のおさらい。水曜日は午前中に社労と打ち合わせ。例の改正高年齢者雇用安定法の対応について、今回もいろいろと対応について提案をいただくのだが、そろそろ時期的にまとめる頃合でもあるので、こちらから今後の方針、諸規則の改正スケジュールを逆に提示することにする。さらにこの間まとめた改正案(いちおう仕事はしている!)を社労に渡して早急に赤を入れるように指示。4月の法改正に間に合わせるためには、3月の頭には諸規則の改正案をまとめ、社員への説明、意見書をまとめてもらうなどそれなりに手続きはけっこうあるわけである。
夕方はわざわざ月島だか門前仲町だかにもんじゃ焼き食べに行く。都内で月1程度開いているオヤジ飲み会のテーマがなぜかもんじゃ焼きに。どういう流れでそうなったのかはわからんのだが、はっきりいってえらい迷惑。埼玉の辺境から出てくるのたいへんなんだから。粉モノでいい加減腹膨らませながらけっこう飲み、さらにもう一軒である。当然午前様とあいなる。
翌日も都内で会議、流れで二軒ハシゴ。この日はまあ電車では帰ってきたはず。
そして金曜はというと最初に勤めた職場の同窓会。しかも自分にとって最初の上司だった人がいよいよ定年になるのだとかで、そのお祝いもかねての飲み会である。しかしその職場を5年ちょっとで辞めてから今の職場まで5〜6回会社を流れ歩いているというのに、なぜかこの職場の人間とはずっと切れることなく付き合っているのだから不思議といえば不思議といえる。しかしここ数年こういう少しだけ先輩筋にあたる方の定年のお祝いみたいな会合に出る頻度が確実に増えてきている。順繰りとはいえいかに自分たちが齢を重ねてきたかの証みたいなことなんだろうか。
その職場は少人数で店舗運営するところだったからけっこうハードだった。繁忙期には一月100時間以上の残業が普通だったし、特に忙しい一週間くらいは職場への寝泊りなんていうのもあった。今回の会ではなぜか最初に乾杯の音頭をと挨拶するようにいわれて、そのときの思い出を話したりもした。そしてさらに最初にそういう職場を体験すると仕事に耐性ができる。自分がなんとなく世の中渡ってこれたのもその経験があったからなどと面白おかしく話した。突然のフリでうまいことまとまらなかったが、その場にいた人間はほぼ同じ経験を共有しているので、けっこううけたかもしれない。
しかしこういう飲み会となると当然のごとく皆が皆一様に齢をとり、確実に劣化し、老けているのだが、酔いとともに昔の面影がダブリ、杯が進むにつれて次第にみな昔の顔に戻っていくようになる、いや見えるようになる。同窓会のマジックというのはそういうことなんだろう。しかし中に一人、二人、ほとんどイカサマだろうというくらいに変わってないヤツもいたりする。苦労してねえなオマエみたいなことで内心ツッコンでみる。