アルジェリア人質事件

あまりきちんと報道を追っていなかったのだが、アルジエリアの人質事件は最悪の事態になってしまった日本人の死者10名、フィリッピン人8名、英国人、米国人、ノルウェー人それぞれ3名の9人、身元不明が6人と発表されているとか。アジア人が半数を超えるというところがややひっかかるところでもある。
昨日は死者9名と無事だった7名の日本人が政府専用機で羽田に到着した模様が、テレビでも延々と放映されていた。亡くなった方々やそのご家族のことを思うととても切ない気持ちにならざるを得ない。
ただ政府専用機で戻ったことになにかしらの引っかかりを覚える部分もある。なんだろうそれはと考えてみると、かれこれ9年も前のことになるのだろうか、イラクでの人質事件の記憶がうっすらと蘇ってくるからだ。
イラク日本人人質事件 - Wikipedia
あの時、イラクで人質になったのはアメリカのイラクとの戦争を全面支援し、自衛隊を派遣した政府に対して批判的なジャーナリストや民間ボランティアの方々だった。彼らに対して政府やマスコミを中心として作り上げた世論は、所謂自己責任論だった。危険な紛争地帯に自らの意思で訪れ、人質になったのである。自業自得みたいなものではないのか。そんな奴等の救出のために税金を投入するのはおかしいではないか、などなど。
人質家族への取材も過熱した。そう今の比ではなくである。さらに解放後、日本に戻るときに使った政府専用機の飛行機代まで請求されたという話も伝わってきた。
彼らはなぜあれほどまでに叩かれて、今回被害にあった日揮の社員の方々にはそういう論がたたないのか。私企業の一員として、商売のためにかの地へ行っていたのだろう。アルジェリアが紛争地帯にあたるのかどうかは議論が分かれるところだろうけれど、少なくとも武力を保持した反政府勢力が存在することは予めわかっていたことである。少なくとも外国人の安全が保障されている民主主義国家ではないことくらいの認識はあったはずなのではないか。
そうだとすればである、小泉政権時代に主論調として跋扈していたあの自己責任論が吹き荒れてもおかしくはないではないか。民間企業が商売のために危険地帯に赴いてテロにあったのである。社員の救出から保護や移送その他もろもろは、会社の経費で負担すべきじゃないのか。政府専用機を使ったのであれば、その費用は当然、企業に負担させるべきではないか、などなど。
と、そんなことをさらさら思ってはいない。2004年にあっても2013年にあっても、私は首尾一貫して外国で事件に遭遇した自国民の保護は、一義的に国家が負うべきだと思っている。国家は、その機関としての政府は、自国民の保護を一番に考え、行動しなくてはいけないのである。さらにいえば、そこに一切の条件なりをつけてはいけない。保護されるべき自国民の思想信条がたとえどうであっても、それを元に差別的な扱いをしてはいけないということだ。例え被害にあった自国民が、政府を批判する反体制勢力であってもである。
時の政権が保守党であって、外国で被害にあった自国民が共産主義者であったとしても、逆に左派政権に対して被害に遭遇したのがウルトラ右翼であったとしてもだ。
国民国家というのがたぶんそういうことなんだと私は理解している。そのうえで今回、アルジェリアで被害にあった日揮の関係者には、心よりの哀悼の意を寄せたいと思う。そして、そのうえでさらに思う。2004年のイラク人質事件の自己責任論は、あまりにも異常な民主主義国家としてはおよそあり得ない対応だったのだと。