東北旅行

6、7、8日の三連休、50代、60代のオヤジ連中と東北旅行へ行ってきた。いい加減、いい歳なんだからのんびり電車使って、グダグダ旅行をと思っていたのだが、声のでかい先輩の鶴の一声で車での旅行となる。秋田、岩手、二泊旅行である。距離はざっと1700キロ。6月に車買い換えたばかりだし、メンバーの中では比較的若輩にあたるので(五十代半ばを超えた若輩もないもんだ)、たぶんほとんどの行程を運転することになるはず(実際そのとおり)。ということで、かなりハードな旅行だったわけ。
初日はただひたすら車を走らす。朝6時半過ぎに出発、ただただひたすら東北道を走り続ける、えぐるように走る。ほんでもってただただ移動で終了、目的地の男鹿半島の宿に着いたのは6時少し前。ほぼ半日ずっと運転していただけである。
翌日、まず寒風山に登る。ここからは八郎潟を一望にできる。

なんともまあ、ここが琵琶湖に次ぐ国内で二番目に大きな湖であったとは。そしてこれを食料増産のために干拓し、いざ大規模農業の実施をとなったときには米余りのご時世で減反政策となり、いったいなんのためにこんな広大な干拓地を作ったのかということになったと聞く。
高度経済成長期のムダな公共事業の所謂一つの象徴的モニュメントみたいなものではあるわけだ。とはいえ、これだけの一大事業、ウィキを引用すれば「20年の歳月と約852億円の費用」である。今の物価指数とかとの比較でいえばざっと3〜4倍くらいにあがるだろうけど、公共事業の費用ということでいえば、たぶん軽く一兆まで届くような費用なんじゃないかという気がしないでもない。
それでいて米作りは今一つだし、今では調整池でのバス釣りとか、まあ細々観光地化されているだけとも聞くが、これだけの干拓でる、環境えの影響は様々に大きかっただろうし、まあいいことは一つもないのではとも思う。
とはいえ、20年にわたる事業である。この干拓事業に関わることで人生の三分の一とかそういう歳月を費やした方々がたぶん沢山いらっしゃるのではとも推測する。それをたった二文字「ムダ」で片つけるのはなんともイタイことである。だからあえて何度もはいわない、「●●」だなんて。
寒風山を後にして二泊目の宿泊地、花巻温泉へ向かう。途中、遠野に寄る。ここはある意味日本の原風景みたいなど田舎である。とにかく山と川と田圃というおよそ何もない風景が延々と続く。観光地を一つということで、遠野ふるさと村なるところにも立ち寄る。古い民家などを見学。ここで水谷豊主演映画「愛しの座敷わらし」が撮影されたことを知る。
築100年以上の古屋は曲がり屋という直角にまがった形をしている。一階建ての古い家はそれなりに趣きがないわけでもなく、確かに座敷わらしくらいいてもおかしくない雰囲気である。そうやってみれば、この古い集落を擬したふるさと村全体がなんとなく水木しげるの描く風景のようでもある。別におどろおどろしているというのではない。ただ、なにか出てきてもおかしくないような、そういう雰囲気なのである。
たぶんモータリゼーションが進み、どこへ行っても代わり映えしない景色が連なる日本にあっては、もうあまり残っていないような風景ということになるのかもしれない。昭和三十年代の記憶を有している自分のような世代でも、ほとんど享受していないような景色、雰囲気、たぶん漫画だの、古い映画の中でしか見たことがないものということだろうか。
三日目は、とりあえず早く帰らないと渋滞にはまるという考えが先立つのだが、それでもせっかくの東北旅行なのである。きちんと観光もしなくてはということもあり、岩手の定番観光地、世界遺産中尊寺を訪ねる。
ここは一度だけ来ている。25〜6の頃だから、およそ30年前のことである。今でもつきあいのある友人と二人の珍道中だったか。上野発の夜行に乗り込み、平泉に着いたのは早朝。季節は12月の暮れ、ほとんど小雪がちらつくような時期だったか。登山グッズショップで買った天山ブランドのダウンジャケットは大変役にたった。あのダウンは当時でも4〜5万したんじゃなかったか。どうやって購入したのか覚えていないのだが、おそらく清水の舞台から飛び降りたか、誰かに一生モノだからとか騙されたかのいずれか。
中尊寺の記憶はほとんどなく、唯一能楽堂を観たことだけはなんとなく覚えている。後でその時の友人に確認したところ毛越寺にも行っているのだとか。今回の旅行でもここに行ったのだが、私的には初めて訪れたという気でいたのだが。
30数年前の旅行では、中尊寺の後は宮沢賢治ゆかりの地を幾つか回ったのだが、例えばイギリス海岸は雪でなにもわからずとか、ほとんど感慨なき旅行だった。たぶんスキットルに入れたバーボンをただひたすら飲み続ける酩酊旅行だったのではないかと思う。
よく覚えているのが、農機具とかを中心に置いてある巨大なホームセンターに入って罠とかを見つけて妙に感動したことだ。友人と二人で、この罠を買って都内に仕掛けようとか、渋谷とか青山に仕掛ければ、女子大生がかかるかもしれないなどという、ほぼ100パーセントお馬鹿な話をしていたことだけは、けっこう鮮明に覚えている。当時も今と変わりなく、「馬鹿であった」。と、たった一言だけでかたずくな。
30年ぶりの毛越寺中尊寺もそこそこに面白くもあった。中尊寺から衣川あたりを遠く眺めたときに思ったことだが、30年前には東北新幹線東北道もなかったということ。広がる平野を切り裂くようにしている二本のぶっとい線の存在が歳月の隔たりの証なんだろうかとも思ったりもしたわけだ。
岐路は予想通り、えらいこと渋滞にはまる。