- 作者:譲, 佐々木
- 発売日: 2011/11/28
- メディア: 文庫
- 作者:佐々木 譲
- 発売日: 2011/05/15
- メディア: 文庫
佐々木譲本は文庫化を待って購入というのがパターン化しつつあるかな。しかしたまに本屋に寄るとなんか浦島太郎状態になる。新刊書のコーナー寄っても知らない作家ばかりだし。良く知っている著者はというと東野あたりだけだもの。
都会のメガ書店に行けば、数珠繋がり的にいろいろと棚を眺めて長い時間を費やす楽しみがあるにはあるのだが、地方の小さな本屋だとそういうこともなく、なんか同じところをグルグルしているだけだ。
それでも佐々木譲の文庫新刊(『巡査の休日』は5月刊だから新刊じゃないか)を購入できたのは良かったことかも。暮れのうちに『巡査の休日』はすぐに読了。例の道警シリーズの四弾目である。当初は脇役的だった小島百合巡査は三作目の『警官の紋章』あたりから中心的メンバーとなってきたのだが、本作では主役に躍り出た感ある。
パレツキーばりのクールな女性警官であり、ハードボイルドばりばりだけに、前作あたりかすでにキャラが立った存在だった。本シリーズが今後も続いていけばスピンオフ含めて主役を張る機会が増えそうである。
今回は前回彼女が逮捕したストーカー殺人犯が逃走し、再び札幌に現れるという情報がもたらされることから始まる。犯人は以前ストーカー行為をしていた女性を再び襲う恐れがある。女性はよさこいソーラン祭に踊り手として参加することになっている。彼女を警護するために小島百合巡査は自らも踊り手の一人として加わり・・・・・。
札幌のよさこいが大変大掛かりなものであることはなんとなく知識としては知っているのだが、いま一つ実感もないため今一つお話のプロットが個人的には盛り上がらない。
もともとあちこちで町おこし的に行われる、その「よさこい」なるものが個人的にはあまり気に入らない。なんかヤンキーのなれの果てみたいなそういうイメージである。ヤンキーだの暴走族だの、レディースだのをカッコイイとする文化が私的には今一つなのである。あれはどうにも都会的でない、ソフィストケートされていない。かといって土着的な原風景に根ざした祭事とも異なる。なんていうか地方都市のいかにも的な「田舎モノ」的産物みたいな感じだ。
だいたい土佐高知だかの地方的なお祭をなぜに町おこしだかで導入する。あれをなぜカッコヨイとするかと。まあ一生懸命やっている方には大変失礼な話なのでこの辺のことはこのくらいで。そういえば隣町の坂戸もこれを町おこしにしとるようだが、まだ一度も見たことがない。たぶん今後もきっと見ない気がする。
前々から思うのだが、どうせ町おこしするならである。坂戸には少なくとも日本中どこを探しても絶対にないような立派な建築物があるのである。台湾の道教の巨大な寺院である。
http://platz.jp/~seitennkyuu/
いっそ屋台村とかを誘致して台湾に特化した擬似的チャイナタウンとか作っちゃえばいいんじゃないとでも思ったりもする。どうせ周りは田圃ばかりなんだし。日本唯一の道教の聖地をでっち上げればいいのにと、ここを訪れる度にそんな夢想、妄想しておるのだが。
なんの話しだっけ、よさこいじゃない、佐々木譲の『巡査の休日』のことだった。というわけで(なにが〜)、よさこいソーランを舞台とした設定に今一つリアリティを感じさせるものがないのだが、それなりにラストに向けて緊迫度をあげる手法はいつものごとくである。『うたう警官』で主役をはった津久井や佐伯も今回は脇に回っているが、そこそこの存在感をかもし出している。
やはり成功したシリーズものの強みということなんだろう。ある意味、読者も安心して読んでいける。キャラ立ちした主人公群たちによる警察小説である。すでに単行本では次回作も上梓されている。早く文庫化されないかと楽しみでもある。87分署シリーズ的形で定着しつつある感じである。舞台はあくまで道警、そこで活躍する刑事群像。そういう小説ということなんだろう。
そして『暴雪圏』である。『制服捜査』の川久保巡査部長が再び登場する北海道の郡部の小さな町の駐在ものである。前回が短編連作であったのに今回は堂々たる長編となっている。といっても川久保巡査は狂言回し的存在であり、登場人物は複数の人物たち。表4のシノプシス的紹介を引用すれば、「不倫関係の清算を願う主婦。組長の妻をはずみで殺してしまった強盗犯たち。義父を憎み、家出した女子高生。事務所から大金を持ち逃げした会社員たち。」
最大瞬間風速32メートルの超大型爆弾低気圧によって封鎖された地域の中で、彼らは一つのペンションに閉じ込められる。サスペンスとしての密度は高い。ただし一人ひとりの性格、事情には濃密の差はあっても、あまり深く掘り下げられていない。その分群像劇としては若干弱い部分もある。ただし、なんとなくだがこの小説のメインを北海道の辺境的田舎町である架空の志茂別という町であり、さらには今回の場合は人々の生活を根こそぎしていく彼岸過ぎの猛吹雪である。人々を閉じ込め、その生存さえを奪いかねない爆弾低気圧の凄まじさは文章の間からもじわじわと伝わってくる。単なる警察小説、犯罪小説というよりはそれがメインのようにも思える小説だ。
そしてもう一つ、文庫版の解説をしている香山二三郎は、川久保巡査部長の登場するこの小説シリーズを保安官小説と喝破している。なるほどと思う。田舎の駐在さんは保安官か。いわれてみれば、かっこ良いガンマン然として登場する西部劇の保安官たち、あの舞台となる西部の町は当時のアメリカ社会にあっては辺境地帯なのである。田舎町で司法をたった一人で司る警察組織の体現者。保安官はイコール、日本の田舎町にあっては駐在さんなのかもしれない。
最も現在のアメリカにあって保安官とは選挙によって選ばれる広域的な郡部地域の警察署長代理みたいな趣もあるにはありそうだ。部下を何人も抱えていたりもする。しかし西部劇によくある孤高の保安官たちはまさしく現代日本の駐在である。
それを意識しているのだろう、佐々木譲は本小説のラストシーンで西部劇顔負けのガンマン的決闘シーンも用意してくれている。エンターテイメント小説のベテランのけれんみたいなものと思わせてくれる。
個人的には大変面白く読むことができた。佐々木譲の小説の中にあっても五本いや三本指に入りそうなくらい気に入った。正月の旅行中もずっと読んでいた。今回は娘の病気もあり、ほとんど観光らしい観光もしていないので、ホテルの部屋やら、風呂上り、家族を待つ間に缶ビール片手に読みふけっていたものだ。それはそれでけっこう至福の時的だったかもしれない。正月旅行、温泉、酒、めっぽう面白い小説。こういう組み合わせもなかなかなものである。たぶんありそうもない老後の愉しみの一つリストアップしておきたいと願う。