クラプトン、ウィンウッドのライブを観てきた

昨日は古い友人と二人でエリック・クラプトン、スティーブ・ウィンウッドのライブに行って来た。クラプトンはクリームあたりからは割りと同時代的に聴いているけれど、熱心に追いかけたこともない。ロックギタリストのスーパースターなんだろうけど、私の中ではセッションギタリストの印象が強い。ある時期、誰かの曲を聴いていて、かっこいギターソロになると、これクラプトンみたいなことを言うと、けっこうあたったみたいな感じの人。こういうのは例えば、ハーモニカのスティーヴィー・ワンダーと一緒。それがここ20年くらいか、えらくビッグネームになっているな〜くらいに感じてはいた。例の「アンプラグド・ライブ」あたりからだろうか。
ティーブ・ウィンウッドはというと、私の中では「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」の人。「ハイヤー・ラブ」とかをよく聴いた。ライナー・ノートからクラプトンと一緒にブラインド・フェイスにいたとか、その後トラフィックに参加してなんていうのを知識として仕入れた程度。
そんなんで友人から「クラプトン来るんだけど行く?なんかスティーブ・ウィンウッドとジョイントらしいけど」みたいに聞かされて、なんとなく「うっ!?」みたいなレスポンスで、すぐに「いく、いく」みたいにならなかった。けっこう歳いっているので、例によってナツメロ、懐かしのメロディみたいなライブになるのかなとも思ったりもしていた。そんなんで、しみじみと「レイラ」や「チェンジ・ザ・ワールド」「クロスロード」、ウィンウッドは「ハイヤー・ラブ」とか聴ければいいかなと、あんまり期待もせずに武道館に向かった。
武道館はほとんどフルハウス状態。観客の平均年齢の高いこと高いこと。確実に40代以上行っている感じだ。ある程度金に余裕のあるおっさん、おばさんが昔行けなかったビッグネームのライブに集うというイメージである。
観客の年齢層も高いけれど、演奏するほうも半端なく年齢いっている。椅子においてあったチラシ風のパンフでメンバーを確認すると、見事なオールド・ネームのオンパレードである。クラプトン1945年生66歳、ウィンウッド1948年生63歳。ドラムのスティーブ・ガッド1945年生66歳、私にとってはスタッフのメンバーであり、70年代フュージョン系ドラマーの代名詞みたいな人。この人も息の長いミュージシャンである。さらにピアノのクリス・ステイトンにベースのウィリー・ウィークスと続く。ステイトンは正直知らないが、調べると長くセッション・ミュージシャンとして活躍している人らしい。ウィリー・ウィークスというと、私と友人の間ではドゥービー・ブラザースの後期に参加していたベーシストという知識だけである。二人とも確実に50代後半以上である。大丈夫なんかなこのメンバー、2時間持つのかしらんなどと一抹の不安。
ライブは後追い知識だが、ブラインド・フェイスの「Had to Cry Today」で始まった。舞台のほぼ真横の2階席のかなり上の方だったのでメンバーをきちんと認識するのは至難の業的である。友人ともどもオペラグラスを持ってこなかったことを悔やんだね。袖からメンバーが出てきたときも、最初どっちがクラプトンとウィンウッドか判らなかった。歌い始めて初めて認識した、手前がクラプトンで奥がウィンウッドね、みたいな感じだ。
演奏についていえば、最初に行われた横浜アリーナの公演レポートが参考になったかな。曲順、演った曲、演らなかった曲、アンコールの曲など微妙に違うけれど、ほぼ同じような感じだったか。
http://listen.jp/store/musicnews_36127_all.htm
聴いているうちに、知っている曲、聴いたことがたぶんある曲、たぶん始めて聴く曲なども含めて、ロックンロール、ブルース・ロック、リズム&ブルースとテクニックを含めて大変密度の濃い演奏が続く。正直聴きこむ感じで引き込まれていく。これはもうナツメロライブとかではなく、まさにギンギンの円熟職人芸の極地である。クラプトンのギターもさることながら、ウィンウッドのオルガンがえらいこと素晴らしい。ブルージーかつ心地良い。さらにステイトンのピアノがまたいい。見事なホンキートンク・ピアノぶりである。あてずっぽうだけど、ニッキー・ホプキンスとかと近しいスタイルなんじゃないかと勝手に思ったりもする。スティーブ・ガッドウィリー・ウィークスは完璧なバッキングを構成している。このグループは凄いと思った。
とにかく2時間と少しの間、演奏に引き込まれ続けた。年齢を感じさせない素晴らしい演奏だったと思う。途中のアンプラグド・セットでは、あまりの心地よさに友人は若干に落ちそうになったそうな。私はというと、そういうこともなくとにかく演奏を楽しめた。歳とともに2時間とかそういう長丁場を集中していられなくなっていて、途中で舟漕ぐことはざらなので、それだけライブを楽しめたということ。
話しは脱線するけれど、30代の頃に同じ武道館でオジー・オズボーンのライブ行ったことがあるが、あの大音響の中でも私は寝ていたらしい。一緒に行った友人に後でからかわれたものである。
アンコール曲はジミヘンの「Voodoo Chile」あたりだったか、記憶違いかもしれないが。そして最後まで「レイラ」も「チェンジ・ザ・ワールド」も「ハイヤー・ラブ」もかからなかった。アンコールではあちこちから「レイラ」を要求する声も聞こえたけれど、やらず仕舞い。でもそれで不満足かというと、まったくそういうこともない。
懐メロ、ヒットチューンに頼ることなく、かってのブラインド・フェイスの曲を中心にしながらも、それを現在のブルース・ロック、ソウルの流れでの再解釈といった形で見事にパフォーマンスしている。このバンドは過去のビッグネームの再結成といった企画モノとは一線を画していると思った。平均年齢もたぶん60を優に超しているだろうに、凄いことである。ある意味肉食系ミュージシャンというか、ジイサン達のバイタリティには感動すら覚える。
まあしいていえば、クラプトンがギタープレイの間に小刻みに足踏みしてリズムをとっているのだが、あれが少しだけジイサン的な感じがした。といってもなんとなくユーモラスというか、可愛いというか。
たぶんというか、へたをするともう二度と見ることもないのかもしれない。あっちも歳だけど、ひょっとしたら、見ているこっちのほうが先にあの世に行っていてもおかしくない。それを思うと行っといて良かったなとシミジミ思ったりもする。大変幸福な時間を過ごすことができた。
帰りは飯田橋に出て、これも懐かしい沖縄料理屋「島」で軽く飲んだ。ここにたむろっていたのはたぶん30年以上も前のことかもしれない。35度の泡盛のコップ酒を4〜5杯飲んで腰抜かしたり(私ではない)。友人と一緒に海が見たいとほざきあって、わざわざ逗子だか葉山の海まで行き、友人はこけて頭から海の中につっこんだりなど、とにかくお馬鹿な経験を繰り返したところである。ちなみにその友人がこの日一緒に行った男ではあるのだが。
私が「島」を訪れるのはたぶん10数年ぶりのことで、それも1〜2回程度行ったきりである。それでもマスターはしっかり覚えていてくれたみたいで、「久しぶり」と声をかけてくれる。嬉しいことである。まああてずっぽうで言っているんだろうし、たぶんここの客はたいていがリピーターだから、そう言っておけば客も満足なんだろうけど、それでも本当に嬉しかったね。この日は、気のあった友人と、いい音楽、いい酒で楽しい時間を過ごせた。年とってもいいことがあるなと感じるのはこういう時ではないのかね。