民主党ポスト菅候補は「脱原発」に否定的

脱原発」も退陣危機?
菅直人首相が提起した将来の「脱原発」社会をめぐり、「ポスト菅」の有力候補が次々に「原発維持」の考え方を表明している。このままでは原発の是非が民主党代表選の争点にならず、菅首相の退陣後は「脱原発」が立ち消えになる可能性も出てきた。
「個人の『夢』としてはあるかも知れないが、政府として前提にするのは簡単ではない」。「ポスト菅」の有力候補である野田佳彦財務省は16日、将来の「脱原発」について横浜市内で記者団にこう語り、首相との違いを強調した。
首相が記者会見で訴えた「脱原発」を、菅政権を支えてきた閣僚や党幹部たちが引き継ぐ気配はない。
前原誠司前外相は先月26日、神戸市での講演で「関西電力エリアは(電力供給割合の)4割が原発だ。原発が止まるとものづくりは、やっていけない」と宣言。仙石由人官房副長官も「単なる願望を会見でいうのもいかがなものか」と首相を突き放す。岡田克也幹事長も「温室効果ガス排気量が増える事態も避けないといけない。自然エネルギーにどれだけ期待できるのか」と否定的だ。
首相補佐官を退任した馬渕澄夫前国土交通相は「菅さんに『脱原発』をとられた」と周辺にこぼした。馬渕氏周辺には「脱原発」を掲げて代表戦に挑む構想もあるが、馬渕氏は表向きは「安全技術基準で再検討し、稼動できるものは稼動する。新規にも原発を造るかは技術革新の中で判断すればいい」と慎重な姿勢を崩していない。
理想はわかるが、現実的に「脱原発」は難しい。こうした姿勢は樽床信二元国会対策委員長小沢鋭仁環境相も同じだ。
「ポスト菅」が脱原発と距離を置くのは、電力業界と関係が深く「脱原発」に抵抗感の強い自民党の以降を気にしているからだ。「ねじれ国会」に苦しむ菅政権の姿を目の当たりにしただけに、自民党とエネルギー政策を巡って真正面からぶつかるのは避けたい。「減原発」を主張する玄葉一郎国家戦略相は16日、福島県郡山市で新首相の条件に「与野党協力ができる人」を挙げ、「社会保障と税、エネルギー政策について事前に野党と合意を得て新首相を選ぶべきだ」と述べた。
だが、朝日新聞世論調査では77%が原発を将来やめることに賛成している。党内には「首相辞任後、脱原発を掲げて代表選に出れば得票を伸ばせるかも」(中堅議員)との声もある。
朝日新聞 17日朝刊 4面

ひどい話である。と同時にこれが菅首相の足を引っ張る民主党の実態、永田町の現実なのだろう。こいつらは3.11から何も学んでいない。
一番ひどいのは「電力業界と関係が深く『脱原発』に抵抗感のある自民党の意向を気にしているからだ」という旧態以前とした国対政治である。そんなことなら自民党にとって変わられてしまえばいいのだと思う。
いや、実は電力業界と関係が深いのは、なにも自民党だけではないだろう。民主党もまた電力総連を通じて業界とずぶずぶの関係にあるのだから。
やはり政権交代は日本では時期尚早だったのかなと、そんな気もしてきたな。いや戦後70年、まだまだ民主主義がきちんと定着されていないということなんだろう。
とりあえず民主党はもう駄目だと思う。もう一度自民党とくっついちゃえよと、まあそう思う。元々が自民党の一部、社会党右派、民社党の寄せ集めなんだからと、そんな気もしてきたな。政治には幻滅、もういいよと、そんな気にもなる。
こういう政治的なあきらめ、ニヒリズムからファシズムが台頭してきたという歴史的事実からすれば、忍耐強く、忍耐強く、政治状況を見続けていかなくてはならないのかもしれない。
しかし原発を巡る政治状況はひどすぎる。菅直人の提起した「脱原発」社会のどこが問題なのだろう。

原発・エネルギー政策について私自身の考え方を申し上げたいと思います。3月11日の原子力事故が起きるまでは、私自身も原発は安全性を確認しながら運用していくと考えていました。3月11日の事故を体験するなかで、そのリスクの大きさ。20〜30キロ圏に住んでいる方やその外にいる方に避難していただかないといけないとか。最終的な廃炉にたどりつくには、5年、10年さらに時間がかかるわけで、原子力事故のリスクの大きさを考えると、もはや律することができない技術だと痛感しました。

いったん事故が起きたら制御できない技術。しかも周辺環境に対する大きな影響。さらにはここでは触れられていないが、核廃棄物処理の問題。廃炉のためには長い年月と大きなコストがかかる。
それを今すでにあるから、それが電力供給の3割を占めているから(この数字も実はたいへん曖昧であり一人歩きしている感がある)、つまりは原子力発電はすでにあるものだから、それを受け入れるのが現実的であるというのが、たぶん大人の現実主義というものなのだろう。永田町や霞ヶ関、あるいは経済界の常識的思考というものは、そういうことなのだろう。そのなかでは、多少の原発のマイナス面、利権構造だの、核廃棄物、事故、汚染その他は、とりあえず起きちまったことについては、あるいは明るみにでてしまったことに対しては、対処的に対応しますと。
世論調査で7割が将来の原発に否定的という世論については、フクシマの事故という現象面からくる、オンナコドモの反応である、ポピュリズムであると。そうした愚民の右往左往になど左右されない賢者の対応こそ、政治には要求されると、まあそういうことなのだろう。
でももう一回、マグニチュード8程度の地震が、どこかの原発のある地域で起きても、本当に大丈夫なのか。あの水素爆発があったら、とりあえず30〜50キロ圏内は避難させればそれでいい。おおむね放射能汚染はただちに人体には影響しないし、たぶんたいていの汚染は風評であるということでやり過ごせるとということなのか。
六ヶ所村の再処理工場で大きな事故が起きても、保管されている廃棄物はたぶん大丈夫であると。あそこは僻地中の僻地だし、周囲が汚染されても、とりあえず平均所得一千万超えなほどに、十分に危険負担をばら撒いているんだからと、まあ保険はかけてあるんだからと強弁するんだろうか。
そんなことよりもフクシマの状況だよ、あそこ、台風が2〜3回襲っても大丈夫なんか。汚染水たまりっぱなしなんだろう。建屋はまだまだむき出しの状態なんだろう。まだまだ危機的な状況続いているんだと思う。そうした現実の中で、「反原発」は現実性のない、菅の延命のための思いつきだけで、スルーしてしまうのか。
菅はなんの具体性もなく思いつきで「脱原発」を言っているだけだという批判。一国の首相が打ち出した方針を真剣に受け止めて、そのための施策を考えている官僚はいるか、あるいは民主党内で自分のところのリーダーの主張に向けて政策実現のために動こうとする政治家はいるか。誰一人無責任に自分のところのリーダー批判しているだけじゃないか。
とにかく今の図式は、なんでもかんでも菅のせいにして、それで原発問題、震災対策、その他の行政的、政治的問題を棚上げしようと、そういうことなんだろう。
前にも書いたことだけど、原発のなくすためには長い、長い年月がかかるのだと思う。それを今は電力供給の中でパーセンテージを占めるからということだけでないがしろにして、先送りしていいのだかどうか。20年先に原発をなくすためには、今「脱原発」に踏み出さなくてはならないのに。フクシマを経験した中でいち早くそれに舵を切ろうとした政治家を変人、奇人扱いの個人攻撃の集中砲火で亡き者にしようとしている。「個人の夢」「単なる願望」というなら、政治家としての自身の「夢」「理念」をきちんと国民に語りかけてみろよ。「段取り」うんぬんは、政治家が官僚にサボタージュさせないで仕事させればいいだけのことなんだ。それを官僚と一緒になってサボタージュしているだけじゃないのか。
政治家はステーツマンであるということを誰か思い出せよとぐちりたくなっている。