世界5月号

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌
雑誌 - 岩波書店
ほぼ1冊丸ごと東日本大震災原発災害を特集している。寄稿した著者も、内橋克人坂本義和大江健三郎鶴見俊輔宮田光雄、池内了辻井喬などなど。
発売は4月7日である。月刊誌の編集サイクルからすると、おそらく3.11の震災発生からおよそ2〜3週間でまとめあげたということになる。よくぞこれだけの著者から、しかもこれだけ内容の濃いものをと思う。老舗出版社の編集力というものを再認識した。
また巻頭に世界編集部から読者に宛てた一文も格調高い名文だと思う。そこには被災者への深い同情と共感、長く反原発の論陣をはってきた同誌にとって、なぜ今回の原発災害を防ぐことができなかったか、自らの論説が国の原発政策を変える力になれなかったことについての内省ととともに改めて原発の安全性を問うていこうとしている。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/05/pdf/skm1105-1.pdf
同じ震災特集を組んだ『文芸春秋』が侍従長による皇室からみた震災、都知事による内容のない現政権批判、被災地の市町村首長からの寄稿、いずれもインタビューをリライトしたようなもので、情緒的で深みのないものばかりであることからすれば、力の入れ方にえらく差があるなという印象を強くもった。
『世界』をこの前に読んだのはいつのことだろう。すぐに思い出せないくらい以前のことだ。表紙からして、きたない高校生やおばさんのアップ写真とかで、なんとなく手にとりたくないなというイメージがある。さらにいえば月刊総合雑誌というものをほとんど読まなくなった。年に何回か『文芸春秋』を購入するくらいである。
しかし今回の『世界』の特集は読ませる。実際に被災された宮田光雄氏や岩田靖夫氏等の寄稿文もリアル感にあふれている。原発震災を予見していた地質学の石橋克彦氏や原発設計の技術者であった田中三彦氏等の専門的な見地からの分析も、地震原発災害の連関への理解を助けてくれる。
経済同友会終身幹事である元日本興亜損保社長、品川正治氏の「原子力と損害保険」もまた保険という視点から原発の「安全神話」の虚構性を論じていて面白い。今回の原発事故損害がどう補償されるかどうか、これを保険の観点からみていくと、民間保険会社が引受している「原子力損害賠償責任保険」では1200億円の賠償額が定められているが、地震や噴火は免責されるため、保険会社の損害賠償はないという。
他には原子力事業者と国が契約を結ぶ「原子力損害賠償補償契約」というある種の強制保険があり、民間保険会社が免責された場合に国が1200億円までの補償金を支払うことになっている。
品川氏は今回の原発災害ではこの補償契約が適応されるだろうと推測している。そう東電が補償のための原資として受け取れる保険金はわずか1200億円までなのであり、それすらが国からの支払いである。それに対して原発の直接の被害への対応から、農水産業その他への補償、また計画停電等によって起きる補償、それらを勘案していけば、現時点でも軽く兆を越すと推測されている。
東電の経営がどうなるか、遠からず破綻ということになっていき、今後の福島原発への対応すらできなくなる可能性もあるのではないかと暗い想像をせざるを得ない。
品川氏は「損害保険業とは、日本の全産業が成長に向かって走っているなかで、たった一つのブレーキ役である」と考えられている。しかし今回の原発災害に接して彼はこう心境を吐露されている。

ひたすら成長へのアクセルを踏み続けた日本の産業の一つの象徴が、まさに原発であろう。私は、そうした20世紀の原発製作そのもに、疑問を感じている。日本の原発政策は「多重防護により絶対安全」という神話によって成立していたが、保険会社を経営してきた立場から言えば、絶対安全などという言葉を信じることはできない。だが、国家と産業界が全力で踏み込むアクセルにどこまでブレーキをかけることができたかと考えれば、忸怩たるものがある。

そう、本特集の基調を見事に体言した言葉だと思う。前述したように巻頭文で編集部もまたこう内省の文を書いている。

本誌は、原発について、安全性の面、経済性の面、エネルギー政策の面などから、長年にわたって批判してきました。しかし、現在の事態は、いかなる専門家も予想できなかった最悪の事態をはるかに超えたものです。私たちの主張が、原発政策を変えるほどの力をなぜ持てなかったのか、慙愧の念をもって振りかえらざるをえません。

そして劇作家の坂手洋二氏も「二度目の誕生日」のなかでこんな風に述懐している。

同世代から、こういう言い方を耳にするようになった。「こんなことになるなら、あの頃、もっとちゃんと反核運動をしておけばよかった」

そうなのである。私自身、こんどの原発災害を目の当たりにしてそんな思いにかられることもある。ある程度の年齢に達した人々にとって、福島の災害は実際にリアルに起こっている惨劇とは別に、なんとも後味悪い思いを呼び起こすようなファクターをもっているのだ。だからこそ、漫然と日々の営みに没頭するだけではなく、もう一度批判認識を持って現実に対峙する必要があるのではないかとか、次世代への責任をおざなりにしていいのかと、まあそれほど大上段からではないにしろ、なんかしら考えなくてと思わないでもないのである。
3.11をどう教訓づけていくか。思想家西谷修氏は「近代産業文明の最前線に立つ」の一文をこうしめくくっている。

敗戦後も変わらず、政権交代も変えなかったことを、いま変えなければならない。そしてその変化を目に見える形にすることは、いま世界から援助を受けている日本が、世界に返しうる最大の返礼となるだろう。そういってよければ、日本の3.11以後には、この転換期の世界の未来がかかっている。