被災地に本を送ろう〜紙の文化の復権を

地震が起きてからずっと考えてきていることがある。まず出版業界として、地震被害にあった地域、人々に対してなにかできないかどうかということ。そうなると当然のごとく本を送ってはどうかということになる。本、いやまずは衣食住だろう、本などなんの足しにもならないのではないか、そんなことも思ったりもした。
そんなときに朝日新聞が社説で「震災と暮らし 一冊の本とボールの力を」と記した。3月30日のことだ。ちょっと長いが全文を引用する。

震災と暮らし―一冊の本とボールの力を

 被災した人に必要なものは。
 水。食べもの。安心して眠る場所。暖房。医薬品。ガソリン……。
 どれもまだまだ、十分ではない。全力で不足を埋めなければならない。
 それらを追いかけて、届けたいものがある。
 心を柔らかくしたり、静めたり、浮き立たせたりするもの。想像の世界へ誘ったり、考えを深めたり、元気がわくのを助けたりするもの――文化とスポーツだ。
 被災を伝えるたくさんの写真の中で印象に残った2枚がある。
 1枚は、避難所のストーブを明かりにして本を読む子の落ち着いた表情。もう1枚には、サッカーをする少年たちの笑顔が並んでいた。
 一冊の本。一つのボール。
 それは子供たちが生きるための必須栄養素だ。もちろん、おとなにも。厳しい日々には、なおさら大切だ。
 求められれば被災地に駆けつけたいと考えている芸術家やスポーツ選手は多い。彼らが表現する「美」や「強さ」が、できるだけ早く、傷ついた人々のもとに届くのを願う。
 地震の被害をあまり受けていない地域でも、様々な行事の中止が相次いでいる。被災した人たちを思い、楽しみを慎むべきだという考えも理解できないではない。しかし、文化やスポーツの催しをむやみと自粛しては、社会から元気を失わせる。被災地を支え、経済を再生し、新しい日本を築き直す日々は長く続く。そのための活力を蓄え、維持するためにも、出来る限り、いつも通りの日々を取り戻したい。
 もちろん電力不足への十分な配慮は必要だ。
 東京では、照明やエレベーターなどを最小限に抑えて、公演を再開した劇場が多い。暖房を切り、観劇はコートを着たままで。様々な工夫で電力使用量を4割以上減らした劇場もある。
 普段ならば、シャンデリア輝くロビーの豪華な雰囲気も劇場や音楽ホールの楽しみの一つだ。それを今は我慢しよう。でも、表現活動は決して萎縮しないようにしてゆこう。芸術は「精神の自由」のともしびなのだから。
 プロ野球は、決定までにセ・リーグで二転三転したが、開幕を来月12日に延ばし、4月中は東北・東京電力管内でのナイターはやらないことにした。選手たちは初めから、試合日程が厳しくなることを承知で開幕延期を主張してきた。太陽の下、素晴らしいプレーを見せてくれるだろう。
 選抜高校野球はテレビ中継の時間短縮など、節電と共存しながら開催している。被災地の学校も甲子園にやってきた。白球を追う若者の姿に、力を得た人も多いに違いない。
 心に届くもの。それが苦難の時代を生き抜く糧になる。 

「一冊の本。一つのボール。それは子供たちが生きるための必須栄養素だ。もちろん、おとなにも。厳しい日々には、なおさら大切だ」
そのとおりなのである。サッカーボール一つあれば、被災地の子どもたちはがれきの間の隙間でもボールを追って走り回るだろう。ブラジルやアルゼンチンの貧民街ではたぶん普通に見られる光景だ。明日を夢見てただ一つのボールを夢中に蹴る子どもたち。
そして本だ。本の中にはすべてのものがあるのだ。人間が築き上げてきた文化のすべてが本の中につまっているのだ。一冊の本がどれだけの人間の人生を変える契機となってきたことかを。
ITの進展によりペーパーメディアは衰退してきている。2010年は電子書籍元年として喧伝された。iPadが、アマゾンのキンドルが、グーグルエディションが、これからの出版物の世界を示し始めている。もはや紙の文化は、本は、新聞は、衰退していくものと考えられた。
しかし今回の東日本大震災とその影響による電力不足は様々な形でIT産業にも影をさしかけている。まず簡単に言ってみよう。スマートフォンのような携帯端末にしろ、iPadのようなタブレットにしろ、いや単純にパソコンにしろなんにしろだ、電気がなければなんにも役立たないのだ。携帯電話にしろバッテリーが尽きればそこで終わりである。被災地で電気もろくに来ていない状況で充電環境があるのか。
そもそもクラウドコンピューティングだのなんのといっても、そこから情報を取り出す端末が動かないのである。首都圏あたりでも、計画停電によりコンピュータを中心とした仕事の一切合財が機能しないことに頭を悩ませた方は多かったはずだ。IT産業は電気がなければ、まったく機能しないのである。そしてその電力供給が実は、自然災害に対してきわめて脆弱なインフラによって担われているということが今回明確になったということだ。
そうした状況下で、あいも変わらずやれスマートフォンだの、電子書籍だのといっていられるのか。電気がなくても昼間ならどこにいても本を読むことができる。雑誌を読むことができる。新聞を見ることができるのだ。どうだい、ペーパーメディアは最強ではないか。濡れてよれよれになっても乾かせば、本なら読むことができるのである。
新聞社はまず被災地に、避難所に新聞を無料で届けることを初めたらいい。被災地の人には水、食料、衣類、もちろん安心して眠る場所も必要だ。しかしそれらと同じくらいに、情報を必要としているはずなのだから。
そして本である。実はこういう話がある。出版社にしろ、書店にしろ、あるいは通販業者にしろ、今回の地震ではけっこうな被害を受けている。棚から落下して商品として駄目になった本が相当数、出版社1社あたりでも数万冊近いヤレ本(駄目になった本)が出ている。それらの本の中で、使えそうなもの、例えば背や表紙に傷がついたものなどを、被災地に送ったらどうかという話がなんとなく一部で出ていた。今も進行中かもしれない。それも一つにはいい案かもしれない。
でもあえていう。新本を、きちんとした商品を被災地に送るべきだと思う。各出版社が自社でもっとも自信をもって勧められるようなロングセラーを被災地の子どもたちに、大人たちに送るべきじゃないかと思う。
書店もまたそうした運動に取り組んで欲しいと思う。。そう、出版人は総てそうした運動に取り組むべきじゃないかとも思う。みんな本に世話になってきたのだ。自分たちが扱う商品は、文化財であるということに自負をもってやってきたんじゃないか。
すでに運動は始まりつつあるようだし、自分自身もなにかできないかと知人、友人とも語り合っている。それぞれが自分のポジションでなにか出来ないかと模索しているのだが。
すでに始まっているものとしてはこんなところだろうか。
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http://www.h6.dion.ne.jp/~sugiyama/
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そして業界の動きはというと、例によってやっぱり遅いようだ。
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