1つの動画

震災の事故映像を幾つか見た。あまりテレビとかも見ないほうなので、たぶんそれほど多くはないだろう。ただニュースショー等で見たそれらの映像はみな凄まじいもので、津波の威力、脅威というものを見せつけられる思いだ。そしておそらくその映像のほとんどが、見事なまでに編集が加えられていること、押し流される建物や車の映像の背後には、多くの人間が同様に流されているだろうということは容易に想像できた。だからこそこの地震の被害は想像以上にひどいものになるだろうと思った。
今、じょじょにその実態が明らかになるにつれて、自分が想像した以上の被害の状況がわかってきた。地震とそれに続く津波被害が、映像によって受けた衝撃以上のものとして報道されてきている。そうした中で、たぶん一番早い時期に見た、ある種の衝撃映像的な形で私の心に刻みつけられたものがある。一般市民が映した、確か宮城県南三陸町での津波被害の様子のものだ。

この映像で左下で小さくだが、なかなか逃げない人たちが数名映っている。よく見るとそれは車椅子に乗った人を助けるべく数名の方が必死に努力している様子なのである。そのすぐ後ろからは濁流のような津波が押し寄せてきている。
緊急時に車椅子の人間をどうやって助けながら避難することができるか。それは今回のような地震を受けて私が最初に考えたことでもある。当地の地震震度5弱だった。それでもあの時の長い揺れは私には衝撃的だったし、それこそ生まれて初めての経験に近かった。あれが6以上に達した時、在宅して被災した場合に、私は車椅子の妻を連れてうまく逃げることができるか。的確な判断をして、妻と娘を連れて避難できるのか。
たぶんそんなことを想像するだに、なんとも悲観的な答えしか見出せないでいる。妻は室内では3点杖や壁をつたって歩いて移動している。室内で揺れがひどい状態で、棚やらなにやらが倒れてくる状況で、彼女を支えながら外への避難にはどうしたらいいか。たぶん妻は過度の緊張から立ち尽くして、一歩も動けなくなってしまうかもしれない。玄関の入り口に置いてあるたたんだ車椅子を広げて、玄関に置いても、妻は玄関に降りることができるかどうか。玄関ドアを出ても5段の低い階段をどうおろすか。
そんなことを考えていくと、たぶん強い地震があった場合に真っ先に被害にあうのはうちのような障碍者を抱えた家なのかもしれないと思わざるをえない部分もある。新聞に掲載される亡くなった方のリストを見るにつけ、お年寄りが多いことを思わざるを得ない。みんな逃げ遅れたということなのだろうから。
もし幸運にも避難できても、例えば避難所でハードな生活を障碍者はどうやって過ごすことができるのかどうか。五体満足な人々でも相当なしんどさの中で、どうにか生存している状況なのである。
障碍者と震災、どうにも重く、そしてとてもクリアできそうにない問題のようにしか思えない。