停電下のオフィスにて

本日の計画停電予定時間は、15時20分から19時まで。パート従業員は15時に返し、社員は停電後は屋外、半屋外で作業させる予定をたてている。停電は30分近く遅れて15時45分くらいから。17時過ぎの就業時間に社員も一斉に帰宅させる。
こっちもどうしようかと思ったが、どうしてもやっておきたい仕事が2〜3本あった。前日の停電が18時20分から22時までの予定だったが、18時45分開始で、20時35分に通電した。2時間以下で通電したので、今日も比較的早くに停電はあけると希望的観測をもとにオフィスに残ることにした。
しかし暮れなずむオフィスに一人でいると、なんとも不思議な気持ちになる。退屈なので午後に送られてきたFAX類を仕分けたりする。すぐに終わる。社員の机にのっていたコミック誌をペラペラめくる。島課長シリーズは確か社長編あたりをやっていた記憶があるのだが、今はヤング島編とかで係長をしている。手を代え品を代えという感じだ。「けっこう読んだよな、このシリーズ」などと小さな感慨も。課長から部長になるあたりの頃か。自分もえらく小規模な会社の課長とかしている頃だったから、共感を込めて読んだ。な〜んてこともなく、まったく夢物語のようにして読んだ。「大企業って、どんだけ〜」みたいなつっこみいれてたのかもしれない。
しだいに暗くなってきて、さすがに活字を追うのもしんどくなる。しょうもなく携帯電話を取り出し、ネットやらゲームやらをしてみるが、もともとそういう習慣もないから、すぐに飽きる。ひたすら携帯に夢中になっていられる若者たちの決定的な差とでもいうべきか。こういう時に人はゼネレーションギャップとかをひたひた感じるのかもしれないな。
ついでだからほとんど更新していないTwitterなんかもやってみる。
「停電なう」
後が続かね〜。1月からほそぼそやってはみたけれど、正直に言う。むいてねえ。つぶやくことがない。つぶやく暇すらねえ。そういえば最近、流行のfacebookとやらも、いちお開いてはみたものの、どうやったらいいのかわからず放置してあるな。
ほとんど暗闇と化したオフィス。寒いのでダウンジャケットを着ているのだが、それでもなんとなくしんしんと冷えてくる。ひっきりなしに時計に目をやるのだが、こういうときの時間はなかなか進まない。1時間経過、1時間半経過、そして2時間経過しても、うんともすんともいわない。窓からの景色でも明かりがつく雰囲気もない。
いよいよ2時間を経過、さらに10分、15分と経過していく。「やばい、東電は本気だ。このままきっちり予定終了時間の19時までいく気か」とぶつぶつ。2時間半を経過したあたりでようやく通電する。15時45分から18時31分まで。
えらく無駄な時間を過ごしてしまった。通電したところで守衛室に行くと、「あれ、会社に戻られたのですか」と質問されるので、ずっとオフィスにいたというと、えらく呆れられた。
それからパソコンに電源いれ、サーバーに接続して、何本かのデータ処理して、2〜3本文書作って本日の業務終了。2時間半待機して1時間半くらい仕事を続けた勘定になる。なんとも無駄だな時間の使い方だな。
しかし思うよ。私の仕事の8割方がパソコン仕事になっている。いや比率はもう少し高いかもしれない。データ処理、文書作成、意思決定にまつわる全てもまたコンピュータを経由せずしては、なにもできない事態である。
これはたぶん私だけの問題じゃないのだろうとも思う。電子文具としてパソコンを事務仕事のすべの基盤になっている。さらには回線接続による連絡、データの交信、その他もろもろ。おそらく大企業になればなるほど、ITに依存する比率はより高まっているのだろう。
クラウドコンピューティングにより、すべてのデータが、業務が、ここではないどこかのデータセンターに蓄積されている。我々はそれを情報端末によって、いつでもどこでも取り出すことができる。そういうはずだった。
しかし今つきつけられている現実はどうか。それらが情報処理=仕事の全てが、一企業の電気供給に依存しているという現実。IT社会の現実が、そのインフラが実はきわめて脆弱なものによって成り立っているということが、今回の大震災によって明らかになってしまったということ。
3.11が我々に示したもの、影響を与えるだろうものは、おそらく社会生活全般にきわめて多岐にわたるだろう。その一つがこれなんだろう。真っ暗なオフィスでそんなことを漠然と考えた。