地震の顛末〜東北の悲劇

昨日も今日も出勤している。昨日は昼過ぎに一人で会社へ行く。誰もいない。帰宅難民の泊まり組みも朝方に帰っていった模様である。
とりあえず商品の被害状況、建物の被害状況にあたりをつけなくてはと思い、デジカメ持って出勤。倉庫内に入って散乱した商品等を撮り続ける。建物の損傷も一応目視で確認するが、大きな損傷はなさそうである。一部落下物で天井ぶち破りみたいなものもあるにはあったけど。
それから画像をPCに取り込みまとめてから、今後の方策に一応のあたりをつけてから同僚の部長を呼び出して二人で協議。とりあえず近隣等で出社可能な者を数名リストアップして召集をかけ本日は地震で散乱した商品の片付け。月曜には最低限、通常業務に戻れることを念頭に作業を行わせる。
員数が最低限なので当然自分も作業に加わる。床に散乱した商品を拾い集め、これをパレットに積んでいくのだが、これが半端じゃなく大変な作業。常に膝を曲げて中腰の状態でいるので足腰にくる。これは確実に膝やるなと思っていたら、午後には完全に膝にきた。左膝に明らかに水がたまり始めていて、右に比べると1.5倍増しみたいに腫上がりやがる。
この日も余震が数回程度きていた。昨日からテレビで東北の惨状を目にしていたが、今日も帰宅後は買い物や家事の合間にテレビを見続ける。本当に凄まじい状況が画面に延々と映し出されていく。死者や行方不明の数が数百名から1千名あたりとテロップされているのだが、不謹慎かもしれないが、内心そんなものではないだろうと思ったりもする。
阪神の時の死傷者は確か1万人くらいだったか。当初はそれに比べれば、被害地域が東北の地方都市中心だから、被害は少ないだろうかなどとも思った。阪神淡路のときは大都市神戸が一番の被害地域だったから、万を越える死傷者が出たのだろうとも思った。
しかし、テレビから映し出される例の津波の凄まじさを見るにつけ、さらにはいくら地方都市とはいえ、あれだけ広範囲に津波が押し寄せていることを思うと、これは半端じゃないという思いを抱くようになった。
テレビ画面で繰り広げられる津波が押し寄せる惨状、そこには実は映し出されていないが、かなりの数の、生きた生身の人間が流されている映像が実はあったに違いないのである。おそらくそれらは見事に編集されているにちがいないのである。同様に津波が終焉して、がれきだらけとなった市街地を映し出す場面でも、おそらくあちこちに溺死した人々の姿が散乱していたにちがいないのである。ニュースが人為的に作られていくのだということをなんとなく痛感する。
それがたぶん事実なんだろうと改めて思うのが、仙台の湾岸に隣接した地域で数百の死体が散乱しているらしいという、断片的な報道が伝えられるあたりだっただろうか。これは凄まじい被害状況になっていくのだろうという予感。たぶん岩手、宮城、福島、さらに近接する青森や茨城の被害をも加算すれば、死傷者の数は数万に達するかもしれないのではという予感さえしてくる。今回の地震とそれに続く津波による災害は、そんな悲劇を想定するほどの破壊力をもっていたのではないかと思っている。