不動産探し

ひょんなことから、ここのところ不動産屋通いを続けている。いや不動産屋というよりも比較的小さな中古マンションの内見というやつである。
先々週は川越の1DKマンション。築30数年で川越線の線路際。川越市駅から徒歩10分くらいで、山村国際高の先を少しいったところにある。不動産屋とは現地で待ち合わせだったのだが、このマンションにはびっくりした。なんつうか朽ち果てて、廃墟一歩手前という感じである。ベランダには給湯から漏れた水が溜まり、手すりは錆びている。廊下も荒れに荒れている印象。そして少なからずの住民が外国人のようだ。部屋に入るときにちょうど階上から降りてきた外国人の2人組、なんとなく南米系の若い男たちは、「なに、引っ越してくるの」と興味津々で部屋の中を覗き込もうとしていた。
先週は川越線笠幡駅近くの公団の中古団地を見に行った。築30年弱の3DK。四畳半二間と六畳一間の典型的な公団住宅である。5階でエレベーターなしというのが正直しんどいところ。クロスは張替え、風呂と洗面は新しいものに代えてあり、畳の表替えや襖も張り替えてある。いわゆるリフォーム済みというやつだ。
ここの公団は全体で400戸くらい。まあまあ中規模の団地である。大規模修繕が終わったばかりのせいか、建物はけっこう綺麗である。けっこういい印象をもったが、いかんせん川越線沿線というのがちょっとというところである。川越線は単線で日中は1時間に4本程度という典型的な田舎電車である。おまけに最寄駅までは徒歩5分ではあるが、日中は無人駅なのである。
そして昨日は北坂戸公団住宅を二つ見てきた。いずれも5階建ての5階部分。一つは居住中で、生活臭ぷんぷんである。もう一つは空き家だった。この団地は1970年代の中頃にできたところで築30数年である。北坂戸自体が公団が開発したところで、いわゆる団地の町である。団地の多くは賃貸の中高層住宅だ。駅からやや離れた場所、とはいえ徒歩10分前後のところに分譲住宅が立ち並んでいる。低層のテラスハウスと、5階建ての集合住宅だ。
とにかく町全体が公団住宅といったところなので、道幅も広いし、並木もきれいで整然としている。ところどころに大小の公園もある。なんとなくだが、以前住んでいた港南台の町並みを思い出させる。住むならこっちだろうなと思わせるところだが、賑やかで整った町だけに、当然それは値段にも反映している。
さてと、なぜ家探しをしているか。また引越し。いやいや、もうそんな根性もない。まして一戸建てから、わざわざ狭い公団の中古に宿替えする必要もないでしょ。これにはまあちょっとした訳ありなのである。
ほとんど交渉がないが、私には兄が一人いる。横浜で一人暮らしをしている。去年の暮れに会社を定年している。ちょうど同時期に体をこわして入院もした。いわば健康をくずしたうえに仕事もしていないという、けっこうしんどい状況なのである。住まいは賃貸で横浜という場所がらもあり、けっこうな家賃を払っている。
この間、何度か会ったり電話をしたりして話し合った結果、家賃の安い埼玉に越してきたほうがいいと勧めてみた。それで私もいろいろ探してみたのだが、不動産屋巡りをしていくにつれ、60代は高齢者扱いであり、しかも一人暮らしということもあり、けっこう部屋を借りるためのハードルが高いのである。
賃貸がなかなか難しいのであれば、いっそのこと中古の、それも築30年程度経過した格安物件を購入してはどうかと考えてみた。さすがにそこまで築年数が経っていると、相当に経年劣化がすすんでいる。マンションは管理によって大きな差がでるという話も知っている。それで管理がけっこう行き届いている公団の中古分譲はどうだろうかみたいな方向性がでてきたということだ。
公団であれば以前住んでいたこともあり、勝手もわかっている。それに公団住宅は敷地がかなり広くとってあるので、個々の持分も民間マンションよりも広い。とはいえ築30年を超えるとなると、設備は古臭く、使い勝手も悪い、ようは住みにくいということもあるだろう。しかし価格相応という部分もあるのである。
支払いはというと、これもたぶんに私が負担することになる。兄は残念ながら十分に小金を溜め込むような堅実なタイプではなかった。昨年暮れに、たぶん5年ぶりくらいに連絡をもらってから、近況を聞き、手助けできる部分をいろいろ考えてきたうえでのことでもある。私にとっては唯一の肉親ということもある。
兄が健康を回復して、そこそこの自立した生活をしていけるだけの手助け、まあそういうことだ。70を過ぎたら、単身だし、少しは優先的に特用老人ホームとかにも入れるかもしれない。そのときのことはそのとき考えるとして、とにかく今をどうするかみたいなことなのだ。
しかしこの年になっていろいろと抱え込むことがえらく増えてしまった。身障者の妻、ひとり立ちするまではたぶん後10年はゆうにかかるだろう娘。そして兄のことも。
仕事もそれなりにはある。責任や判断を要することは、じょじょに増えつつある。まあないよりはましとしていかざるを得ない。たぶん最低でも後10年はしのいでいかなくてはならないのだから。
なんの因果でこんな風にいろいろと舞い込んでくる。背負い込むことになるのか。きっと前世にでも原因があるのかもしれない。自分のこういう状況を考えていると、なぜかしらレイモンド・カーヴァーのある短編小説を思い出す。『象』というタイトルだったかな。できの悪い弟、愚痴ばかりいっている母親、別れた妻、やくざな男と所帯を持ってしまった娘、大学に通っているけれど甘っちょろい考えで自立する気のない息子、それらの家族から四六時中、借金ばかり申しこまれて、断ることもできずに四苦八苦する中年男の話だ。
かなり絶望的な話なのに、どことなくユーモラスで、訳者の村上春樹も解説していたけれど、不思議な明るさのある小説だった。かってこの小説を読んだときに、私はこの主人公と亡くなった自分の父親の人生を重ね合わせて読んだ。浪費癖のある母親と出来の悪い二人の息子、一人は当然私のことだけど。
今、この小説のことを思い出して、主人公の男を自分と重ねてしまう。巡り合わせとか様々なファクターとかを含めて。少しだけ小説の後半部分の一節を引用してみる。

鳥がさえずり、車が何台かわきを通り過ぎていった。弟にも幸運が訪れるように、と僕は思った。どこかから金が入ってくるといいね。もうしそうなったら、俺の金返してくれよな。そして僕の昔の女房、かって深く愛した女。彼女も元気で、うまくやっているらしい。話によれば。彼女も幸せであってほしい。結局のところ、僕はこう思う。もっとひどいことにだってなりかねなかったんだ、と。今のところ、いまさら断るまでもないことだが、みんなそれぞれいろいろとひどい目にあっている。とにかくツキから見放されている。でもツキももうすぐ変わる。たぶん秋になれば物事も好転していくだろう。改善の余地はいっぱいあるもんな。