旧聞おくやみ系2〜ラッシャー・木村

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100525-00000011-dal-fight
68歳、いい歳である。肉体を酷使してきたプロレスラーにしてはそこそこに長命だったといってもいい。
晩年は全日でジャイアント馬場を兄貴と慕う憎めないオヤジ風キャラのショーマンレスラーになっていたけど、元々は黒のロングタイツは力道山直系を思わせるストロングファイターだった。
国際プロレスではストロング小林グレート草津サンダー杉山あたりと四天王のごとく君臨していたっけ。あそこは定期的にトップが代わる面白いシステムの団体だったような気もする。いやビル・ロビンソンが長くトップを努めていた時代もあったように記憶している。この4人の他にもマイティ井上あたりも短期間トップをやっていたような記憶もある。
ラッシャー木村といえば金網デスマッチの鬼みたいな呼び名もあったようにも思う。国際プロレスで初めて導入されたんだった。キワモノといえばそれまでだが、けっこうインパクトはあったように思う。当時の記録はこのサイトにある。
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なんともそうそうたるメンツとの対戦である。個人的にはマッド・ドッグ・バションとの抗争を覚えている。
デスマッチ系といえば本場でもスターがいた。クラッシャー・リソワスキーとかディック・ザ・ブルーザーとかいった面々。彼らは当時AWA系でシカゴとかデトロイトで活躍していたはずだ。だとすれば国際プロレスAWAと関係があったのだから木村との対戦があってもよかろうなのに、この時代クラッシャーもブルーザーも馬場のいた日プロや全日にきていた。馬場とのプロモーター同士の関係とかもあったのだろうか。
まあいい、いずれも大昔のことである。木村も鬼籍にはいってしまったから、国際の四天王のうち存命なのは小林だけになってしまった。「昭和は遠くなりにけり」ということをプロレス一つとっても再確認してしまう。