倉敷〜大原美術館

倉敷を訪れるのは2回目である。一度目に来たのはずいぶんと昔のこと、おそらく26〜7歳の頃である。およそ27〜8年前のことになるわけだ。嫌だな〜、年なんてとるものじゃないとしみじみ思う。
その時の旅行のことはけっこうよく覚えている。たぶん夏休みだったんだろう、一週間程度の長い休みがとれたからだろう、懐かしき青春18切符で安い旅行をしたんだった。とにかく最初の1日目が夜行、東海道線の大垣行きで車中泊。翌日電車を乗り継いで朝9時過ぎに京都に着く。京都では観光案内所で紹介された民宿に泊まったのだが、それがまたひどい部屋で一間に見知らぬ男が4人も詰め込まれる。夕食は寿司、それも大皿に山盛りの沢庵巻きだけというひどいものだった。
京都では哲学の道を観光してからそのまま山道に入って、確か前島密の墓とかを見に行ったりもした。なんでそんなところへ行ったのかもよくわからず。
そしてその翌日に訪れたのが倉敷だった。大原美術館、アイビースクエアとかを観光したことを覚えている。
その旅行はその後倉敷から大阪に戻って天王寺からまたまた夜行に乗って紀伊半島を一周、名古屋を経て中央線で確か中津川のちょい手前だったか、田立という無人駅で降りて田立の滝とかを観光した。ここで泊まった民宿はけっこう感じの良いところで、たしか5〜6年にしてからもう一度訪れたっけ。
結局、6日間くらいあちこち回って宿に泊まったのは確か3泊、残りは車中泊とか野宿みたいなそういう貧乏旅行だったと記憶している。
その時のことを覚えていて、もう一度行ってみたい場所のひとつであったのが倉敷だ。妻に一度その話をするとお出かけ大好きな彼女は、今回の旅行の間中倉敷へ行きたいを連発していた。まあそういうこともあって、車でありながらこんなに遠くまで行き着いたわけ。
さすがにGWである。市内に車で入るとけっこう渋滞にはまった。しかもなかなか駐車場に入れない。それでも3時近い時間だったこともありほどなくして市営駐車場に入れた。それからは車椅子を押して、有名な美観地区を周遊。まず最初に向かったのがここ。まあ倉敷といったらここしかないでしょうという場所である。


大原美術館
日本で最初に設立された西洋絵画中心の私立美術館である。ここの品揃えはもう感動ものである。こうした美術館が中国地方の地方都市倉敷に存在すること自体が、なんというか奇跡に近いことではないかとさえ思っている。
ウィキペディアの記述にあるけれど第二次大戦の時にも、近隣の水島とかは米軍の空爆にさらされていたのに、倉敷だけは爆撃されなかった。その理由が大原美術館のコレクションの存在だったのではないかという話がある。史実に裏打ちされたことではないから、一種の神話みたいなものではあるが、なんとも信憑性があるお話ではないかと思う。
大原美術館 - Wikipedia
美術館へ入ったのは4時少し前。通常は5時までなのだが、GW期間中は7時まで開館しているという。受付で別館は5時で終了してしまうので先に別館へ行ってはと案内されるが、観たい絵画はだいたい本館に集まっているので今回は別館へ行くことを諦めて、とにかく本館のコレクションを観ることにした。
前日に大塚国際美術館で複製陶板画をお腹いっぱいに鑑賞してはいるのだが、そこはそれやはりオリジナルにはオリジナルの素晴らしさもある。展示している名画たちも素晴らしいが、この美術館自体がまた独特の美しい雰囲気に満ち溢れていると思った。GWの中とはいえ、夕方に近い時間帯だったせいか鑑賞する客たちもそれほど多くなかったのも幸いだったか、けっこう余裕を持って絵画を観ることができた。
しかしつくづく美しいコレクションである。もちろん一番有名なグレコの「受胎告知」も素敵ではあるが、やっぱりここは近代から現代にかけての作品群が素晴らしい。

カミーユピサロ「りんご採り」(1886年)
モネ「睡蓮」(1906年頃)
ルノワール「泉による女」(1914年)
ゴーギャン「かぐわしき大地」(1892年)
ジョヴァンニ・セガンティーニ「アルプスの真昼」(1892年)
トゥールーズロートレック「マルトX夫人の像」(1900年)
ユトリロ「パリ郊外」(1910年)
モディリアニ「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」(1918年)
パブロ・ピカソ「頭蓋骨のある静物」(1942年)
ポロック「カットアウト」(1949年)

下世話なことかもしれないが「受胎告知」を除けばおそらく一番高い値がつきそうなゴーギャンの「かぐわしき大地」やモネの「睡蓮」など著名な絵画ももちろん素晴らしい。しかし今回一番惹かれたのはセガンティーニの「アルプスの真昼」だったかな。牧歌性のなかにも光をとりいれたキラキラした感じで、随分と長い間絵の前に立ち尽くしていた。

そして同じくらい好きになったのはモディリアニの「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」か。淋しい女を描かせたら世界一じゃないかなモディリアニは。このモデルの女性が画家の恋人であり、早世したモディリアニの後を追って自殺したことを、音声ガイダンスで聞いたが、そういうエピソードもまた心に訴えかけてくるものがある。
当然この美術館でも妻の車椅子を押しての移動だったが、いかんせんここは古い建物のせいか、バリアフリーという点では及第点を出すことは難しいと思った。鑑賞のコースが1階から2階に上がり、また階段を使って1階に下りてから別棟に向かうというそういう導線になっているから。2階に上がるのはエレベーターを使うことができるのだが、2階から一度1階に降りてそれから別棟に行くためには、エレベーターを使って1階に降り、入り口から外に出て建物の周囲を回って、それから出口に向かってそこから入るということになる。かなり煩わしい部分ではあるが、それらを上回る美しい名画のコレクションがすべてを帳消しにしてくれる。そういう場所なのである。