ばばこういち死去

http://www.asahi.com/obituaries/update/0412/TKY201004120112.html
井上ひさしの死が大きくとりあげられる中、同じ社会面の片隅に死亡記事が載っていた。とはいえ写真入りであり、それほど小さい記事ではない。フリーのジャーナリストとして70年代のワイドショーや報道番組などによく出ていた人だ。
私にとってはそれ以上に文化人、マスコミ人が中心となって作った政党、革新自由連合の中枢メンバーだったことを強く覚えている。これも70年代のことである。今、革新自由連合、革自連という言葉に反応する人間がどれだけいるのだろうとそんなことも思う。
記事の中にあるお別れ会の発起人となった永六輔世話人をやる矢崎泰久もまたの中心的メンバーたちだった。そうした名前を見、ばばこういちの死という報に触れるとき、かってこの党派の運動を少しだけ手伝ったことや、選挙事務所に集ったこと、横浜市長選とかにも関わったことなどなんとなく思い出す。
ある意味若気の至りみたいなことだったし、青臭い市民的政治運動の実践みたいな、まあそういうもろもろのことの一環だったのだろう。そうした中で、ばばこういち氏とは若干関わることもあるにはあった。そして私の記憶するこの人はいつも真面目、とにかくクソがつくくらいに真面目な方で、我々のような市井の者にも真摯な態度で接してくれた。
真面目すぎるその姿勢は革自連の運動の中でも群を抜いていた。だからこの党派が崩壊する過程では、たぶん一番傷つき、様々な負担を強いられることも多かったのではないかと想像する。
ご冥福をお祈りする。