長野で新居訪問〜自分の住んできた家のこととか

妻のことでいろいろと世話になっている親戚が長野に新居を建てた。妻が行きたい、行きたいというので連れていった。一昨年生まれた赤ちゃんがちょうど1歳くらいであり、その子に会ってみたいということもあった。
場所は長野の中心部から電車で5分ほどの郊外、駅から5分と至便なところ。しかしその広いこと、広いこと。5LDKで駐車場は3台分、庭も広々としている。よく聞かなかったけど80坪以上あるのかな。首都圏から40〜50キロの埼玉県内で30坪の家に住んでいる自分のところがマッチ箱みたいに感じるよ。とはいえ三人家族でとりあえず一戸建てに住んでいるのだから、まあ満足しているし上みりゃキリがないというところなんだろうな。
あと新しい家となると、どんどん設備が良くなっている。当然のごとくオール電化だし、トイレとか洗面のデザインも洗練されている。やっぱり家とかは新しいものがいいな、とは率直な印象。とはいえ自分自身にいきなり翻っちゃうと、たぶんもう次の家とかはないだろうなとも思う。
振り返ってみると子ども時代から何回引越しとかしてきているのだろう。生まれたのが元町の家。それから一家の没落があり、川崎行って、横浜に戻ってから4回引っ越して。ふじみ野でマンション買って、次に一戸建て作って、最後に今の家だろう。9回目になるのか今のところで。けっこう多いようにも思う。自分の持ち家だって3度目だし。まあ買う度にずいぶんとマイナスになっているんだから、典型的な引越し貧乏みたいなものか。
でもね、とりあえず年だし、もうローンは沢山だな。その親戚の家がいくらくらいかとか、ローンはとか、まあある種そういう生臭い話は一切はしななかった。いいんじゃないかな、家を買う、建てるというのは、一種のロマンというか、夢的な部分も付帯していることなんだし。様々な生活のもろもろのリアリズムは、それぞれが抱えていればいることなんだから。
持ち家の夢というのは、たぶん将来の生活、家庭像に対するビジョンとか、想像力の部分なんだろうな。10年後には子どもが幾つになって、そうすると子ども部屋から流行の音楽が流れてとか、例えば庭先で子犬が跳ねている姿とか、まあ他愛もないような生活のもろもろのイメージとか。
でも50を過ぎて家を新たに持ったときに私が考えたこと。たぶんここが、こんなところが終の棲家になるのか、みたいな諦観めいたこと。自分の寿命がせいぜい70くらいとして、その頃にはけっこう傷んでいるのだろうなこの家はとか。さらにいえば、2階に居室が集まっていて、おまけに洗面、風呂まであるような家買って、老後は大丈夫かとか。そんな先のこと以前に、とりあえず当面はなんとか手摺使って階段の昇降している妻が、いつまでそれが出来るかとか。
なんかそういうことを考えていくと、10回目の引越しとかも一応考えていたほうがいいのかなどとも思ったりもする。次引っ越すとしたら、少し狭くてもいいから駅近で店とかが近くにある中古マンション。そんな選択肢になるのかなとも思う。あんまり金もかけられないけど、やっぱりバリアフリーとか様々手摺とかそういうことを前面に考えなくてはいけなくなるのかもしれない。
まあいいや、そういうことは今のところできるだけスルーしていこう。考えると眩暈がしてきそうだから。
親戚の家には一泊した。その後、妻の実家に短時間寄る。春の嵐のごとく雪が舞う志賀高原の麓である。ちらつく雪の中で簡単に亡くなった義理の父の墓まいりをする。
一人で留守番をしていた妻の母親は、短時間の訪問だったがたいへん喜んでくれた。体が不自由になった長女のことを心配したり、初孫であるうちの娘と話しをして本当に嬉しそうにしている。たまには訪れて顔を見せることが妻にとっての親孝行なんだろうなとも思う。妻と所帯をもって15年。妻の家族との付き合いはたぶん20年くらいになる。みな等しく年をとっていくというのが率直な感想、もちろん自分を含めて。
つい歌のようなものが浮かんでくる。本当に「のようなもの」、いや「のようなもの」にすらなっていないか。

会う者みな
等しく老いたと
感慨一つ
みじかき帰省の
墓参りかな