横浜野毛で食す

兄が昨日退院した。手術後の経過も良いとのこと。たった一人の肉親である。快気祝いをと思い横浜で食事をすることにした。
待ち合わせ場所は桜木町にした。みなとみらいの賑わい、東急駅の廃止など変転著しい場所ではあるが、みなとみらいとは反対側の野毛は私にとっても兄にとってもベースとなる街である。
私についていえば、15〜16の頃から紅葉坂の県立図書館や青少年センターが受験勉強をする場所として通い始めた。高校が終わるとわざわざここに通って夜8時頃まで過ごした。土日もよくわざわざ図書館まで出かけ、飽きると野毛のジャズ喫茶で時間を過ごした。勤めてからもジャズ喫茶には毎週のように顔を出して閉店間際まで飲んだくれていた。そういうことを埼玉に越してくる間際まで続けていた。20数年そうやってこの街で過ごしてきた。いわばここで人格形成したような場所だ。
埼玉の鶴ヶ島から横浜まで電車で行くとなると、ある意味小旅行のような感じである。まず池袋まで行くので、最近はとみにしんどくなってきている。しかし最近は湘南新宿ラインによりずいぶんと時間が短縮されているとも聞いていた。横浜の友人宅での飲み会に何度か行ったことがある妻からもとにかく早いという話を聞かされていた。
今回、初めてその路線を利用してみたのだが、確かに早い。池袋から横浜までだいたい30〜40分くらいだった。自宅を4時半ジャストに塾へ行く娘と一緒に出たのだが、鶴ヶ島の駅でもほとんど待つことなく急行が着たし、池袋に着いてJRの改札を通って湘南新宿ラインのホームへ行くと、こちらもちょうど電車が出るところで滑り込みセーフで乗り込む。おまけに新宿では座ることも出来た。そのまま30分くらい乗っていた横浜に着いたのが6時半少し前、京浜東北線に乗り換えてすぐに桜木町へ。なんと自宅からジャスト2時間で桜木町までやってきてしまった。これはびっくりである。これまでの経験からいえば確実に3時間かかっていたように思う。
かって横浜に住んでいる頃、年に1回の棚卸しのために所沢にある倉庫まで直行した時にも3時間近くかかっていた。その時の私の心象風景は陸の果てまできたみたいな感じだった。今やその陸の果てのその先まで行き着いたところに住んでいるのである。
兄とは7時に待ち合わせていたのに、30分も早く着いてしまった。それで仕方なくまず駅の周りをうろうろする。みなとみらい側に出てみると、なんか風景が違う。かってはランドマーク一つだった高層ビルが幾つも出来ている。こちら側はどうにも慣れ親しむことができない。早々に引き返して野毛側の地下道を降りてみる。かってはゴールデンセンター(現ピオシティだっけ)と直結だったのが、少し変わっている。それでも野毛方面という階段を上がってみるとそこは懐かしい場所である。
野毛はまったく変わっていなかった。道端こそなにやらインターロッキングだかなんだかで綺麗になっているが、街並みも店もほとんど変わっていない。新しいこじゃれた店も増えている。でも懐かしい店はみんないままで通りである。叶屋、村田屋、もちろんダウンビートも。ちぐさはとっくになくなったけど、その斜め向かいのパパ・ジョンも健在。最近もよくテレビなどで紹介される毛沢東もびっくりの三陽も昔のままである。
比較的賑やかな仲通と野毛小路を過ぎて次の通りあたりにくると、だんだんと店の数も少なくなり、やや淋しげな感じになってくる。次の通りにくると、やや危ない感じもしてくるような。そういうところまで30年前とまったく変わりない。この街は本当に変わりない。
7時過ぎに兄も桜木町着いたと携帯に連絡があった。改札口まで戻るのもなんだし、すでに野毛に来ているのでダウン・ビート前まで来るようにと話した。
兄と出会ってから、店をどこにするかを簡単に聞いてみる。兄は退院翌日である。酒はと聞くと、ほんの少しならという。ダウン・ビート前の叶屋にしようかとも思った。ここなら安くすませることができる。快気祝いだし、久しぶりの野毛なので大門へ行ってみようと提案してみた。大門は野毛小路にある小さな小料理屋である。父が贔屓にしている店で、私や兄は学生時代から父に連れられてよく行ったことがある。美味い肴を出してくれるところだ。私が大学を卒業した時も友人たちと最後に流れてきたのはここだったっけ。2時過ぎまで馬鹿騒ぎしていたっけ。
ここは女将さんが切り盛りしていて、息子さんたちが手伝っているという店だ。父はずいぶんと若い時分からよく通っていたようで、女将さんが嫁いできた頃からの付き合いだとよく話していた。
とはいえ父も生きていれば80をゆうに過ぎた大正生まれである。子どもたちの我々でさえ兄はもう還暦だし、私もとおに五十路を越えている。さっき野下をぶらぶらしている時に大門がまだやっていることは確認していたけれど、女将さん健在なのかどうか、少し疑問でもあった。女将さんだっていいところ60代後半、いや70をだいぶ超えていても全然おかしくない年齢なのだ。
そんなことを思いながら暖簾をくぐると店の中は昔のままだ。「いらっしゃい」と声をかけて出てきた女将さんは、昔のままである。髪もきちんと染めているのだろうけど、見た目は60代前半。おいおいまったく変わっていないではないかと思った。女将さんも我々のことをよく覚えてくれていた。特に兄のことを覚えてくれていたようで、父親そっくりになってきたと声をかけてくれた。私もなんだか嬉しくなって、野毛の街並みと女将さんは昔のまんまだねと、お世辞ともつかないことを言ってみる。
そこではふぐちり(白ふぐの安いやつだけど)だの食す。兄はあまり飲まないといいつつもビールを数杯、酒を一杯飲んだ。私は例によってビール1〜2本、酒を二合くらいか。まあまあほろ酔い気分で9時過ぎに出た。懐かしい街で懐かしい店で初老の兄弟が飲み交わす。そういうものだ。
ご案内-桜木町の居酒屋 野毛大門【横浜市中区:鍋料理・魚介類・海鮮料理・ちゃんこ鍋】
その後、ダウン・ビートに入って小1時間過ごす。ここは店の作りも昔のままである。変わったのは店主とメニューくらいか。今の店主も悪い人じゃない、そうなのだけどどうにも落ち着けない。以前、5年前くらいにわざわざふじみ野から足を運んだことがあるのだが、その時にも感じた居心地の悪さ。なんだろうね、もうここには時分の居場所がないという感じ。空気が変わったのかもしれない。それとも決定的に自分自身が変わったのかもしれない。
かっての店主であり、名物オヤジだった安保さんがカウンターの中にいたダウンビート。リクエストしなくても私の好きなアルバムをかけてくれた優しいオヤジ。閉店がとおに過ぎても酔いつぶれた私をそのまま寝かしておいてくれたオヤジ。オヤジが掃除しているところで目をさまして非礼を詫びてあわてて店を出ることもしばしばだった(起こしてくれれば終電間に合ったのにと思いつつも)。
もう、そういう店じゃなくなっているということなんだろうな。10時少し過ぎに店を出て桜木町の改札で兄とは分かれる。横浜で11時2分の湘南新宿ラインの最終に乗り込む。池袋に11時40分に着く。うまく東武東上線の森林公園行き最終と時間の連結も出来ているのだろう。こちらにもきちんと乗れる。12時半過ぎに若葉へ到着。出かけた時からすると8時間近くも過ぎている。いや8時間しかというべきか。なんだかタイムマシンで大昔に行ってきて、現在に戻ってきた気分だった。