兄の入院

日録的に簡潔に書く。
ほとんどつきあいのない兄が白内障で入院した。持病の糖尿病の影響だという。視力が大幅に減退しており、医者から手術をしない場合失明の恐れがあるのだという。ここ3年ほど音信のなかった兄から昨年の11月くらいに近々に入院するという連絡があった。それが延び延びになっていて年明けになったということだった。
 兄は独り者で、私とは7歳と年が離れている。私が所帯を持つまでは同居していたが、警備員をしている兄とは生活のサイクルも異なるため、同じ家に住みつつも生活は別々みたいな生活をけっこう長く続けていた。
私は結婚してすぐに横浜から埼玉に転居した。それからはほとんど交渉もなくなり再会したのは10年以上たってからだ。そしてそれからまた3年以上経過している。久々に会った兄はずいぶんと老いてしょぼくれた印象だった。60歳、勤めていた会社もまもなく定年になるという。まあいたし方ないというところだろうか。
予め10時過ぎに入院の手続きをすると聞いていたので、9時頃に兄を迎えに行けるよう自宅を7時過ぎに出て車で向かった。なにはともあれたった一人の肉親なのである。まあやれるだけのことはしてやろうみたいな気持ちだ。
休日の朝だったが道路は思いのほか空いていて、鶴ヶ島から横浜までの所要時間は1時間半程度だったか。兄の家から病院まで送っていく。病院では入院の手続きに付き添い、入院中に必要なもので用意されていないものを近くのスーパーへ買いにいったりした。
手術の予定は水曜日で退院はだいたい2週間後とのこと。4時頃に病院を出る。病院のある金沢の埋め立て地から昔住んでいた港南台あたりまでを車でのんびり走ってみた。この辺りの道路のはやたらと広くなっている。環状線という大きな道路も通っていて驚きだった。
それからなんとなく卒業した中学校のあたりにも立ち寄ってみた。上永谷の住宅地に囲まれた一角にある学校は昔のままだった。ここを訪れたのは何年ぶりのことだろう。たぶん30数年がゆうに経過していそうだ。卒業してからだと実に40年近くが経っているのだ。なんともはやというか、さほど感慨めいたこともないにせよ、やはり時の隔たりや、自分の老いに対しての戸惑いみたいなものを感じざるを得ない。
ろくでもないささいな感傷はそれとして、その場にたたずんでいたのはたぶん十数分のことだったと思う。それからはどこにもよらずにひたすら車を走らせ帰宅。