スラムドッグ$ミリオネア

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]
先週だったか、TSUTAYAで借りて観た。オスカー作品賞をとった話題作である。解説その他はこのへんに譲る。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id332328/
面白かったか?まあまあである。でも喧伝されるほどの傑作とは思えなかった。確かに演出の冴えなんだろうな、躍動感があった。それが現在劇的な変化、成長を遂げた現代のインドとオーバーラップしている部分もあり、見せる映画になっている。役者は子役をメインにもってきているので、正当に評価のしようがない。良い子役を数名配すれば、どんな名優をもってきてもだいたいはくってしまうだろうから。
でも今ひとつお話に入っていけないのはなぜなんだろう。年齢とか体質的にこういう御伽噺についていけなくなっているのだろうか。リアリズムと無縁なお話ならばいいのだが、この映画のようにリアリズムを基調にしたうえで形成する御伽噺みたいなものにのれないのである。基調となるリアリズムがあまりにも悲惨過ぎてしまうからか。スラムに徘徊する子どもたちの救われない未来になんとなく身につまされてしまうからか。
お話の中でギャングが孤児たちを集めて物乞いをさせる。それだけでなく歌のうまい孤児の目をわざわざつぶす。目の不自由な孤児が歌を歌って物乞いをすれば、同情からか稼ぎが増えるのである。このシークエンスはけっこう重要な部分ではあるのだが、目をつぶす場面をまんまスクリーン上でやられては。これは私の趣味では許容範囲外である。体質的に子どもの悲惨な状況が大写しにされるのは受け入れがたい。
たぶん私がこの映画をこころゆくまで楽しめなかったのはそういう部分なのかもしれない。リアリズムもほどほどに。そういうところか。
映画全体はまさしくインド現代史みたいである。成長を続けるインド社会の光と影みたいなものを見事に映像化できてはいると思う。このへんは素直に脱帽かな。
あと思ったこと。「クイズ・ミネオリア」はイギリスのクイズ番組「フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア」の日本語版である。
フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア - Wikipedia
このイギリス版の放映権のパッケージを各国のテレビ局が購入して放映しているというもので、すでに約100ヶ国で放映されているという。日本では例のみのもんたの司会で2000年から2007年までレギュラーで放映された。現在は正月特番等で芸能人が回答者となる形で放映されている。
たぶんこの番組が人気番組として成立するのは、格差社会が固定化された貧富の差が激しい国なのかもしれないなとも思う。特に今回の映画を観て特にそんなことを強く思った。経済成長を遂げつつある社会の中で、莫大な富を手にする一握りの人々がいる。しかし多くの人々は貧困にあえぎ、貧しい社会から抜け出すことなく人生を終える。そんな人々に大金持ちになるという夢を与える装置としてこのクイズショーは成立しているのかもしれない。
そうなると中流層しか存在しない豊かな国日本でこのクイズ番組が7年足らずで終了したのもなんとなく理解できるかもしれない。とはいえ不況が続き格差社会が主要なキーワードになりつつあるのも日本の現実である。もう一度視聴者参加型の原点に戻ってこの番組を放映してもけっこういけるのかもしれない。金を得るためなら詐欺やら薬やらを使って平気で何人もの人を殺害することをやってのける。それもたぶん普通にすぐ近くにいそうな見知らぬ隣人たちが加害者になり、被害者になりつつある時代なのである。
金があれば、今の惨めな境遇から抜け出すことができる。どうしたらまとまった金を得ることができるか。インドの一般市民がこのクイズショーに熱狂する姿こそが、インド社会の現在のある種の一面を見事に切り抜いてみせてくれているように私には感じられた。それ以外の子どもたちのスラムでの生活やら、運命的な純愛やら、そうした映画の主要なファクターと思われる部分はたぶん狂言回しのための小道具だったのかなと、そんな意地の悪い見方をしてしまう。