入院その後

会社を終えてからいったん家に帰って簡単な支度をしてから病院へ向かう。娘はピアノのレッスンがあるので家で留守番させる。
病院までは車で約30分。ふじみ野時代の国リハの時もそうだったが、病院が近いと楽である。新宿戸山の国際医療センターに通った時のことを今でもたまに思い出すことがある。片道1時間以上、道路が混んでいると2時間以上かかったこともあった。あれはしんどかったな。病院を出るのが8時過ぎ、時には病院に着いた時間が面会時間の8時を回っていたことも何度かあった。帰りに娘ともども遅い外食を食べて帰宅するとゆうに11時を回っていた。
娘はあの時小学二年生だった。学校が終わると学童へ行く。そこに私が迎えに行き、そのまま戸山の病院まで車で直行する。週に2〜3回そんな生活を一月近く続けたことになる。あれからもうすぐ4年が経つ。そうやって病気の妻を受け入れた生活をなんとかしのいできたことになる。
検査入院とはいえ妻が入院して、こんな風に病院通いを始めるとあの頃のことを思い出さざるを得ない。まして時期が発病したのと同じ11月なのだからね。
病院には7時前に着く。病室へ行くと夕食をやっと食べ終えたばかりだそうだ。検査が遅れたので夕食時間も遅くなったのだとか。少し落ち着いてから、病室を出て階下のスタバへ行き検査の話をする。
妻の話では、4日の火曜日には脳の血管に造影剤を入れてMRIをとり、今日は午前中にCT、午後に経食道超音波の予定だったのだが、全部遅れに遅れて検査が始まったのは夕方近くになってからだったとのこと。医師の説明では検査の詳しい結果が後日とのことだが、現時点では異常らしい異常は見受けられないとのこと。特に心臓にはまったく異常はなく、これまでの検査だけに限っていえば妻はいたって健康体だということらしい。
そうなると、4年前の脳梗塞はいったいなんだったのだろうということになる。今回の検査でたぶん相当大掛かりにいろいろ機材使って行っているから、金の面でもそれ相応の費用がかかるだろうけど、それだけ金かけて最終的には「奥様の体はきわめて健康体です。再発の可能性は大変少ないと思われます」以上みたいなことになる可能性が高そうである。これって費用対効果の点でどうなのかと思わない面もないではない。
医師からは心臓や血管に特に問題がないので、考えられる発病の原因は突発的な不整脈が起きて血栓ができて、それが血管を詰まらせてということがあったかもしれないという話だったと。こうなると蓋然的可能性みたいな話で、あったかもしれない、なかったかもしれない的な世界のことである。
検査はまだまだ続くようで、退院の話が出るのは来週の中頃になるのだろうということだった。時間は経過し、費用は嵩み、人生は続いていく。Life goes on.
面会時間の8時少し前に病院を出る。この日は夕食作る元気もなく、帰宅してすぐに娘を連れて近所の回転寿司屋へ行く。妻が入院してからは初めての外食である。