娘の誕生日

本日は娘の12回目の誕生日。ようやっと一回りしたというところだ。親としては、長くもあり、短くもありという小さな感慨がある。とりあえず大過なく子育てがとりあえず出来たという思いやら、とにかく健康に育ったという思いやら。
そしてふと思ったりもする。ようやくとかやっとという思いでの12年ではあるのだが、まだまだほんのちょっととしての12年なのである。子どもの人生からすれば、まだまだスタートからほんの少し経過しただけでしかない。それこそ第一コーナーにすら達していないのである。輝かしき未来はまだこれからなのである。
一方、親のほうはどうか。何気に思うのだが、子どもの次の12年、二まわり目の時には、ひょっとしたらまだその成長を時分の目で見ることができるかもしれない、たぶん、なんとなくそんな気もする。平均寿命的にいってもその可能性はけっこうありそうだ。でも、その次の12年はどうか。娘の三まわり目の時に私はこの世界に存在しているだろうか・・・・・、たぶんその目はないように思う。
24年後というと、ほとんど80に近づく年代である。たぶん鉄板でこの世界からとっくに放逐されていそうである。なんかそういうことを考えると淋しいね。
娘にはこれから無限の可能性がある。いやろくでもない人生を送るかもしれないけど。でもそれでも若いということは、やり直しがいくらでもきくわけなのである。それに対して私らのような初老というべき年代に足踏み出した世代はというと、う〜む・・・・、心象風景を一言で表せば、焦燥感。ようは先が完璧に見えた人生なのに、まだ足掻き苦しむ人生みたいな、まあそういうところにいるわけ。なかなか諦観とか、そういう心境にはいかんのだな〜と。
次の12年を巡ると、私がたぶん65〜6みたいな年齢で娘は24〜25というところ。娘にとっては一番若々しく、美しくなる頃なんだろうね。そして次の12年を経過すると娘は36くらいか。こういう年代に美しく輝いていられるかどうかは、たぶん彼女の人生に幸多きかどうか、たぶんそういうことで決まってくる年代だと思う。願わくば、苦労を重ねて早々に老けるようなことがないようになどとも思う。
しかし年がいってから子どもを作るということは、こういうことなんだろうな。少なくとももっと早い段階で子どもを作った親御さんであれば、子どもが幾つになっても、どこかに存在する自分を想定できるのだろう。でも40の声を聞いてからできた子どもとなると、そういうわけにはいかない。子どもが幾つになれば、自分は幾つでと年の数を計算しながら、自分がその時にこの世界にいる可能性とかを瞬時に想像してはため息をついてみたいなことになるわけだ。
まあいいさ、親の立場からすれば、とにかく、とにかくも子どもが幸福になってくれさえすればいいと、そういう思いでしかないのだから。とにかく親がしっかりしているうちは、金だのなんだので、あまり苦労はさせたくないと思う。欲しいものはなんでも与えてあげたいと思う。多少我がままであってもいいとさえ思う。いつか自分一人で生きていかなくなるのだろう。その時に自分自身できちんと考えて行動する力さえ身についていさえすればいい。別にそれは若い時に苦労したから身につくということでも全然ないのだから。
苦労に苦労を重ねたハングリー精神旺盛な奴が偉いわけでもない。たぶんそういう人でも様々だし、かえってセンスのない他者へのシンパシーに欠けるしょうもない人間だっているだろう。貧乏だの、苦労だのは、回避できるものなら回避したい。そういうものが人間の心を蝕んだり、ロクでもない影響とかを与えることは、自分自身の経験でもわかっている。
しなくてもいい苦労は、するもんじゃないというのが、割と当たり前的に、私の人生訓でもあるのだ。
今日の誕生日は、娘のリクエストでステーキを焼いてやる。といってもスーパーで普通に売っているやつだ。昨日の夜、鍋やるのに豆腐買い忘れて慌ててチャリでスーパー行ったときに売れ残っていた、ちょっと高めのステーキの半額品ゲットみたいなの。なんか本当に小市民的世界だよな、こういうのって。
さらに娘が好物の寿司も食いたいというから、本日もスーパーの閉店間際を見計らって広告の品10カンセットが値引きになってから購入とか。全然リッチじゃない。とどめに娘の好きなケーキが近所のケーキ屋で売り切れていたので、ナビで別のケーキ屋探して、電話で在庫を聞いて。それから車で10キロ離れたところまで向かってゲット。なんか病気の親が食べたいというので冬に果物探して歩く孝行息子みたいな、なんか中国の故事にそういうのなかったっけ。まあそういうのに近いな。
プレゼントは欲しがっていたDSソフトとアイポッド・シャッフル。思い切り甘やかしてるとは思うよ。ちょっとだけ釘さすみたいな感じで、勉強さぼると取り上げるよとだけは言っておく。「わかってるって」と娘の返事。
他は知らないけど、個人的には子どもができて12年の歳月というのは、とにかくいろいろな意味で感慨が深い。祝ってもらう本人よりも親のほうが、はるかに思い入れが強い記念日みたいな感じである。