加藤和彦が死んだ

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http://www.asahi.com/national/update/1017/TKY200910170217.html
今朝、8時過ぎにのどが渇いて階下へ行くと妻が「お父さん、加藤和彦が死んだみたいよ」と声をかけてきた。ねぼけていたのか「ふ〜ん」とだけ答えてまだ自室に戻ってしばらくうつらうつらした。
起き出して新聞を開くと社会面に写真入りで大きく報じられている。ホテルの浴室での縊死である。なんでまたという疑問も。巧なり名を遂げた人なのになぜと。記事の中でもかってのフォークルの同志でもあるきたやまおさむのコメント「友人、精神科医として、コメントもありません」がやけに悲しい。
他のサイトをなんとなく巡ってみる。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/10/18/01.html
うつ病が悪化したのだということ。

遺書には仕事への悩みがつづられており、30年以上、一緒に音楽制作に携わってきた友人は「自分の思うようなものができないと悩んでいた。若い時には当たり前のようにできたことができなくなり、そのジレンマが卓越した創造性を侵していき精神的に追いつめられていった」と説明。加藤さんは新曲作りを依頼した音楽関係者と13日に電話で話した際には「うつで仕事が進まない。作品を書こうと思うとダメなんだ」と話していたという。

ある意味では日本の音楽界のフロントランナーであり続けてきた人だったと思う。様々な意味で前衛であった人でもある。でもやっぱり最初の質問に戻る。「なぜ」そして「62歳になっているのに」
想像するのだが、たぶんこの人はいつまでもフロントにとどまりたいと願い続けていたのだろう。62歳である、そろそろ後進に道を譲るではないが、はすに構えて隠居暮らしをしてもおかしくないだろうとも思う。「思うようなものができない」という悩み、当たり前だ。もう62歳なのだから。
もともと大天才というわけではない。直観力とセンスの良さで最新のフェイスを取り入れることに長けたクリエイターのタイプだったのではと思う。演奏者としてパフォーマーとして、あるいは作曲家としても群を抜いた才能があるというタイプではなかったと。
今彼の作った曲を思い出しても、秀作の数々と思いつつも画期的な楽曲というべきものを思い浮かべることはない。フォークの名曲としての「青年は荒野をめざす」にしろ「あのすばらしい愛をもう一度」にしろ、時代を超えたインパクトはないのではないか、所謂ひとつの秀作というところか。
そしてギタープレイヤー、あるいはパフォーマーとしての彼はどうか、70年代に先駆的なロックを手がけたという、例のサディズティック・ミカ・バンド、あれを本気で凄いロック・バンドだと思っている奴がいたらお会いしたいと思う。あれはある種のキチュなスタイルなだけだ。バンドとして、どうか。たまに一人で延々聴きたくなるような音だろうか、なんかちがうぞ。
加藤和彦はたぶん天才ではなかったのだ。数多あるミュージシャンの一人でしかなかった。ただ新しいものへのアンテナが一人よりはだいぶ優れていた。それを斬新に取り入れて、彼風に、日本風アレンジして提供する。そういうセンスに優れて人だったのだろう。
繰り返しになるが彼の凄さは様々に張り巡らしたアンテナと、そこで取捨選択するセンスなのである。彼の凋落は年齢とともに凡庸かしつつあるそのセンスなりアンテナのようにも思える。でも本当は彼のアンテナが世の中的には普通になってしまったことなのかもしれない。インターネットを通じて様々な情報を普通に享受できる時代にあっては、彼のように努力してアンテナを張り巡らして新しいものを引っ張ってくるようなタイプのクリエイターは、しんどくなってくるだろう。苦労しなくても、別にアンテナをあちこちに張らなくても、どんどん新しい情報が入ってくる時代なのだから。
そしてもう一つ、たぶんこれも推測だけど彼はいろいろな意味でオシャレな人だったのだろうと思う。スタイリストな生き様とでもいえばいいのか。私はぶくぶくと肥ってしまう加藤和彦という存在を想像することさえできない。いつも細くてオシャレで、そんな存在なのである。
近年、アルフィーの坂崎とユニットを組んだり、フォークルを再編成したりして露出した彼を見ていると、加藤も老けたなと思わざるを得ないような年のとり方である。頭は薄くなっている。細いけど、それはもう単なる老人の細さでしかない。かっこの良いスタイリストである若き加藤和彦を知っている私なぞからすると、ちょっと見たくないような年のとり方なのである。正直に言おう、この人はあまり上手な年のとり方をしていないなと思った。
 スタイリストとしての加藤とリアルな60代の加藤のギャップ。ひょっとしたらそれを一番認めたくないと思っているのが加藤本人ではなかったのか。もともとクリエイターとしても卓越した才能がある人ではない。新しいフェイスを切り貼りして日本的な風味を少し加えて商品化する。そういうことに長けてきた人が、今日そんなことを若い、そこそこ才気ある者なら普通にこなしてしまう時代に同じようには仕事ができない。まあ当たり前のような気もしないでもない。
62歳、ある意味ずっとフロントでやってきたのだから、ここは少し肩の力を抜いてのんびりとした活動を続けてもよかったのではないか。たぶん本人的には一番嫌がっていたかもしれない、懐メロバンドでの巡業とかを適当にこなしていれば良かったのだと思う。
でもこの人はいつまでもフロントで、斬新な、目新しいものを生み出そうと頑張り続けて・・・・・。
私がこの人の曲で今一番聴きたいのは「家を作るなら」という曲だ。たしかハウスメーカーのCMソングで普通の、どこにでもありそうなフォーク・ソングである。彼の凡庸さがそのまま出ているような曲だ。でも「青年は荒野」にしろ「あの愛を〜」にしろ、大いなる凡庸な曲ではないか。それにこれも大いなる凡庸なきたやまおさむの詩がついた曲ではないか。
でもその凡庸さを多くの人が愛していたのだと私は思っている。そしてあの世に旅立った加藤和彦にもう一度振り返って、それを知ってもらいたいとも思う。みんなあなたの曲を愛していたのだということを。