大原麗子の孤独死と「おひとりさま」の行く末

f:id:tomzt:20211214141805j:plain
なにかやたらと覚醒剤がらみの芸能ネタ満載の日々である。そんななか大原麗子の死には少々驚いてしまった。

朝日新聞より>
俳優の大原麗子さん(62)が6日、東京都世田谷区の自宅で死亡しているのが見つかった。警視庁は病死の疑いが強いとみている。
 成城署によると、大原さんの弟から同署に3日、「2週間前から姉と連絡が取れない」と通報があった。6日になって弟の都合がつき、同日午後7時すぎ、署員とともに大原さん宅に入ったところ、2階の寝室のベッドで大原さんが仰向けになり、死亡していた。死亡から2週間以上経過しているとみられる。
 施錠されており、侵入や物色の跡などがないことから、同署は事件性はないと判断している。大原さんは一人暮らしだったという。
    ◇
 東京生まれ。64年にNHKのオーディションに合格してデビュー。65年、東映に入社し、映画「網走番外地」「不良番長」シリーズで人気を得た。テレビでも活躍し、故石立鉄男さん主演の「雑居時代」(73〜74年)など人気ドラマのヒロインを演じた。清楚(せいそ)なたたずまいとハスキーな声で好感度が高く、70年代後半から10年以上にわたって放送されたウイスキーのCMでは、「すこし愛して、ながーく愛して」のセリフで多くのファンを魅了した。
 映画では「獄門島」(77年)、「おはん」(84年)などに出演。83年の「居酒屋兆治」では、高倉健さんが演じる主人公を一途に愛する女性を演じて高く評価された。「男はつらいよ」のマドンナにも2回起用されている。89年のNHK大河ドラマ春日局」に主演。86年の「新・喜びも悲しみも幾歳月」の演技で第1回山路ふみ子賞を受けた。
 73年に俳優の渡瀬恒彦さんと、80年には歌手の森進一さんと結婚したが、いずれも数年で離婚した。近年は、運動神経に障害が出るギラン・バレー症候群が悪化し、闘病生活を続けていた。

かっての国民的大女優である。まさに「功成り名遂げ」た人なのに人知れず死んでいく。しかも死後2週間も放置されたままだったという。なんか淋しくないか。
かっての大女優が世間から忘れ去られてというと、往年の名画「サンセット大通り」とかを思い出してしまうが、どうにもそういうのとは違う。ショービジネスの盛衰みたいなものとは異なるベクトルを感じてしまう。
それは大原麗子の年齢によるところもあるのだろう。62歳、あまりにも早すぎる死である。団塊の世代なのである。二度の離婚を経て長くシングル・アゲインしていた。まさしく「おひとりさま」の老後なのである。現役時代に大成功を収めた。都内、しかも世田谷にそこそこの不動産も持っている。報道によるとけっこう金に困っていたみたいなこともあったらしいが、それでも食うに困っていたというほどのこともあるまい。そういう意味じゃ、まさしく社会的勝者の「おひとりさま」であった彼女が、こんな風に孤独死を遂げていたということ。
どんなにきちんと老後の準備をしていても死は等しく訪れる。経済的に自立していなくても、家族がいればうまくすれば家族に見取られて死ぬこともできる。結局、一人は淋しいよ、みたいな教訓になってしまうのかもしれない。
でもあえていわせてもらえば、我々は今後こうした「孤独死」をある意味普通に受け止めていくようになるのかもしれない。この国は、いまや世界ナンバーワンの高齢化社会なのである。施設、病院等のインフラ整備は、現実にはとても追いついていない。核家族化の影響もあるだろう、自宅での介護は老々介護が中心だ。もはや子どもが親の老後の面倒をみるということも少なくなってくるだろう。団塊世代がこれから70代、80代になる頃には、たぶんそこかしこに「おひとりさま」のおじいさん、おばあさんが溢れ返っているだろう。
誰にも見取られることもなく死んでいく「孤独死」。なにかそこに人間の終末としては、かなりしんどい意味あいをいろいろこめている部分もあるだろう。大原麗子の死もそういう文脈でとらえられている。でも世の中、そこら中にいる「おひとりさま」が、あっちでもこっちでも一人で死んでいくという状況がいずれ現出してくるようになる。「孤独死」はある種の悲劇的な死の有り様ではなく、日常的なものになっていくということ。
そんなことを大原麗子の死で漠然と考えてしまう。「おひとりさま」の死に様という意味あいも含めて、けっこう象徴的な出来事なのかもしれないなと感じた。そうなると「孤独死」という言葉、今ひとつなのかもしれないなとも思う。一人で死ぬことはけっして悲しいことではありません、みたいな主張がでてきてもいいようにも思う。
人間は生まれるときは、誰か(医師や助産師たち)に見守られている。でも死ぬときは一人で逝く。そういうのがいずれ普通になる。そうなると人によっては数ヶ月とかそういうスパンで放置される死もあるだろう。生存確認のための各戸訪問みたいなことが頻繁に行われたりもするようになったりするのだろうか。
そうなると「孤独死」という言葉自体がなんとなくマイナスのイメージひきずっているようにも思うから、それに変わる言葉とかも出てくるかもしれない。どんな言葉がいいのだろうね。
「独往生」。今ひとつだな。