マイケル・ジャクソン死去

http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200906270013.html
今さらだけど死んじゃったんだね。50歳早すぎる突然の死だ。キング・オブ・ポップの称号をもったスーパースターだけど、キングというよりはプリンス=王子様という印象が強い。永遠のプリンス・オブ・ポップか。
金曜日の夜、ふらりと一番近くにあるツタヤに行ってみた。たぶんみんなレンタルされているかと思いきや、レンタル中なのは「スリラー」ぐらいでほとんどが残っていた。マイケル・ジャクソンといってもツタヤをよく利用する最近の若者には、「えっ、誰それ」みたいな感じなんだろうか。とりあえず哀悼みたいなこともあって二枚組みのベスト盤を借りてきた。
エッセンシャル・マイケル・ジャクソン
その夜はけっこう遅くまでずっと聴いていたけど、結局私が好きな曲は「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」の二枚に収録されたものつきるようだ。「Off The Wall」「Rock With You 」「Don't Stop 'Til You Get Enough」「Wanna Be Startin' Somethin'」「The Girl Is Mine」「Billie Jean」「Beat It」「Man In The Mirror」などなど。
この二枚の成功は、当時プロデューサーのクインシー・ジョーンズの力量によるものみたいな話もでたし、けっこう「うんうん、そうかも」みたいにそこそこ説得力もあった。でも今思うに、クインシーがマイケルにすりよっていい商売させてもらったんじゃないかと思う。
全世界で推定1億枚というメガヒットの「スリラー」はもちろん名盤だけど、前作「オフ・ザ・ウォール」が実は時代を切り開いた画期的な一枚だったんじゃないかと、そんな気がするな。ダンス音楽としてのディスコ・ミュージックと精錬されたR&Bミュージックの融合。それがポップ・ミュージックを新しいステージに高めたみたいな、なんかそういう感じがする。そして80年代のポップ・ミュージックの百花繚乱の時代がやってくる。
「オフ・ザ・ウォール」はたぶんLPで持っていた。当時つきあっていた女の子に勧められて、だいぶたってから買ったんじゃないかな。発売は1979年だからまだ大学生だったのだろうか。たぶん、たぶんだけど表題曲とかをバックにディスコで踊ったりしてたんだろう。新宿のツバキハウスとかその辺だろうか。懐かしき1980年代の前史といったところだ。
「スリラー」のメガヒットの頃は、ある意味ポップスを一番よく聴いた頃かもしれない。毎週ベストヒットUSAとかを観てた。MTVでPV、ビデオクリップがはやり始めた頃だった。マイケルの「スリラー」や「ビート・イット」のPVは図抜けたいたことは誰もが認めるところなんだろう。
改めて思うが、マイケル・ジャクソンはヴォーカリストとしてもダンサーとしてもずば抜けた才能を持っていたけど、それ以上に作曲を含めたサウンド・クリエイターだった。彼の苦悩は常により新しく、ベストな新作を作り上げなくてはならなかったことなんだろう。商業的にも成功していた。だとしたらもっと安楽な生き方もできただろう。
あれだけのヒット曲をもっているのだ。2〜3年に1度、懐かしのヒット曲を中心にしたツアーをやるとか、ラスベガスでショーを定期的に行うとか、そういうことだってできた。でもマイケルは常に新しい、画期的なものを求めた。あるいは世界中のファンがそれを望んでしまった。
90年代以降の寡作、あるいは2000年以降ツアーも行われなくなり、話題にのぼるのは奇行やスキャンダルばかり。それもすべてクリエイターとしての苦悩からだったのかもしれない。死因はわからないけど、やっぱりドラッグとかの影響なんじゃないかと思う。それもしょうがないことなんだろうよ。
50歳での死は早世かもしれない。でも、プレスリーよりもジョン・レノンよりも長く生きた。整形だのなんのといわれるが、ぶくぶくと太ることもなく、ある意味ではスタイリッシュなままであの世へと旅たったのである。才能に恵まれ、その才能を生かして、子ども時代からショー・ビジネスの世界で成功を重ねてスーパー・スターの地位に上り詰めた。けっして悪い人生じゃなかったとも思う。20代で死んだジミヘンやオーティス・レディングなんかより遥かに長く活躍したのだし。
マイケルは2回日本でツアーを行っている。私は一回だけ東京ドームで彼のライブを観た。生マイケルである。たぶん2回目のツアーの時だったと思う。私の数少ないライブ体験でも生ディラン、生ローリング・ストーンズ、生リンゴ・スターと並ぶ懐かしき思い出である。
もっともそのライブ、かなり後になってようやくとったチケットだったから当然のことながらアリーナではなく、バックネット裏のかなり上のほうだった。ステージはバックスクリーンのあたりである。もう誰が歌っているのかはオペラグラスで確認しないことにはわからないような感じだった。一緒に行ったのは当時のガールフレンドの誰かだったけど(顔も名前も思い出せないのはなぜだ)、彼女に「これじゃマイケルのそっくりさんが口パクで踊っていても絶対わからないね」と皮肉っぽく話したことを覚えている。懐かしき時代だったね。
稀代のスーパースターの死を通して感じるのは、このようにして次第に20世紀が遠いものになっていくという感覚である。別に草田男きどるわけでもないけど、それこそ「降る雪や 二十世紀は 遠くなりにけり」という感じである。年を重ねれば重ねるほどそういう気分はどんどん増していくのだろうね。
マイケルの動画をなにか貼りたいと思うのだが、一番観たいなのは実はこれである。
http://www.youtube.com/watch?v=AstW05bDiQU
http://www.youtube.com/watch?v=l2Zt-57Cg0U
追悼をこめてTDLで急遽期間限定でやったりできないだろうか。様々な権利、契約の関係があるから、この動画を大画面の3Dで観ることはたぶん不可能なのかもしれないな。でもこれもあの騒がしくもバカバカしき80年代の懐かしき思い出である。
稀代のスーパー・スターの死。謹んで冥福を祈る。