ステファン・グラッペリ

煙が目にしみる
10日くらい間によく行くジャズ焼鳥屋さん(このジャズ+焼鳥屋がいいのよね)江奈のマスターに借りたアルバムである。何気にかかっていたのを「これグラッペリ」、「そう」、「良かったら貸して」「いいよ」みたいなノリで借りてきている。早く返さなくちゃね。
スレファン・グラッペリはジャズ・バイオリンの第一人者にして、ジャンゴ・ラインハルトとの双頭コンボで長く演奏を続けたヨーロピアン・ジャズのパイオニアの一人である。1997年に98歳で亡くなった。ジャズ・ミュージシャンとしてはきわめて長命であり、かつ晩年まで演奏を続けた方である。
私がこの人のレコードに触れたのはいつ頃だろう、おそらく20代の後半から30になるあたり、今でいうアラウンド30の頃か。16からずっと通っていた横浜野毛のジャズ喫茶ダウン・ビートで閉店間際にかかっていたグラッペリのアルバムに激しく反応してライナー・ノーツを熟読した。それから何度かそのアルバムをリクエストした。いつの頃からかマスターは他にリクエストとかが入っていない時には必ずかけてくれるようになった。30代にはいつもダウン・ビートで飲んだくれていた。ほろ酔い加減で聴くグラッペリは至福の一時だった。
そのまま寝込んでしまい閉店の片付けしながらもそのまま寝かせてくれる優しいマスターだったな。でも起こしてくれないから何度桜木町からタクシーで帰ることになったことやら。あの頃の私はたぶんいろいろな意味でジャズに包まれて生きていた時期だったのかもしれない。ジャズと酒の日々みたいな感じだったかな。
その頃のお気に入りはステファン・グラッペリでありコールマン・ホーキンスであり、ある時はハリー・ジェイムスであったり。もちろんマイルス、コルトレーンエヴァンス、アダレイ、モンク、所謂モダン・ジャズの巨匠ものはみんな好きだった。でもダウン・ビートのマスターが私のためにかけてくれるのはいつもグラッペリでありホーキンスであり、ハリー・ジェイムスであった。
そんあ思いいれのあるステファン・グラッペリである。その演奏を一言
で言い表すと、優雅=エレガンスということ。あるいはソフィストケートみたいなことだろうか。エレガントな音楽とはどんなものと問われたらグラッペリの音楽と答える。そういうものである。一度は聴いてもらいたい音楽として誰からかまわず勧めたくなる音楽である。心を穏やかにさせる、あるいは豊かにさせる音が凝縮された演奏である。
借りてきたアルバムはもちろん以前にも聴いたことがあるアルバムである。現代は「STEPHANE GRAPPELLI PLAYS JEROME KERN」。戦前、戦中にあって名曲の数々を作り、コール・ポーターアーヴィング・バーリンと比肩するアメリカを代表するポピュラーの作曲家である。そのほとんどの曲がミュージカル映画の中で使われているためとても馴染み深い。

(1) 煙が目にしみる
(2) 今宵の君は
(3) キャント・ヘルプ・ラヴィン・ダット・マン
(4) ア・ファイン・ロマンス
(5) イエスタデイズ
(6) オール・マン・リヴァー
(7) オール・ザ・シングス・ユー・アー
(8) ピック・ユアセルフ・アップ
(9) ホワイ・ドゥ・アイ・ラヴ・ユー
(10) アイ・ウォント・ダンス
(11) ロング・アゴー・アンド・ファー・アウェイ

 こうやって曲目を並べてみるとなんとなくフレッド・アステアのソングブックとでいえそうな感じもする。そのくらいこの名曲の数々はアステアのミュージカル映画の中でアステアによって歌われ、ダンス・ナンバーとして演奏されたものばかりである。たぶんそれも戦後のMGMものよりもアステア=ロジャースによるRKOもので使われたものがほとんどだ。「ピック・ユアセルフ・アップ」は「スィング・タイム」の中でダンス教室でロジャース、アステアが素晴らしいダンス・ナンバー披露していた。
思えばグラッペリの音楽に激しく惹かれたのは、当時の私がMGMを中心とした古いアメリカのミュージカル映画にもろにはまっていた時期だったからなのかもしれない。う〜ん、なんとも人の嗜好にも歴史とか背景とかがあるもんだよなと思う。
今夜も遅くまでほろ酔い加減でグラッペリの調べに浸る。明日は仕事だからもう寝なくてはいけないのだけど、もう一杯、そしてもう一曲だけ。