「人間60年・ジュリー祭り」


去年の12月に行われた東京ドームでのライブをNHKでやっていたのをダビングしたままでいた。BSではなく地上波の45分もののほうである。それをなんとなく観てみた。
ジュリー年とったな〜というのが素直な感想である。還暦を迎えたジュリーは年の割りにはけっこう声がでている。目をつぶって聞いていれば30年前のスーパースターの声そのままである。さすがに高音とか声量は続かない。でもまさしくジュリーの声だ。しかしテレビ画面に映し出された姿はまさに人間60年という感じである。 歳月は残酷だなと思う。
甘いマスクのスーパースターは見事なまでにご老体化してしまった。半年くらい前にどこかの飲み屋でロッド・スチュアートのライブDVDを観た。たぶん「ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック・ライヴ」のものだ。おそらく60前後だったろうロッドは昔と同じ体型を維持していて、往年のかっこ良さをそのままだった。ロッドと比較するとジュリーの変わりようはなんつうか、ちょっとしんどい気分だ。もっと体調維持するのに金遣ってくれよとでもいいたくなる。あえて繰り返すけど、歳月は残酷なものなのである。
かって矢作俊彦ジョン・レノンの死をネタにして「まだ、ぼくたちには、沢田研二がいる」と書いた。それはある種の矢作独特のアイロニーではあったのだろうけど、1970年代のジュリーは「ぼくたちには、ジュリーがいる」と大上段に振り上げても通じるような、それこそほれぼれするようなカッコよさを備えた和製のスーパー・スターだった。ある意味では昭和天皇長嶋茂雄美空ひばり石原裕次郎に続く昭和のヒーロー、カリスマの系譜に続くべき存在だったようにも思う。
私が大好きなジュリーは長谷川和彦監督の永遠の名作「太陽を盗んだ男」の主人公城戸誠である。ナイーブにして大胆、シラケ世代を体現したような若者。たった一人で原爆を作り上げ国家を脅迫する孤独なテロリストを演じたジュリーはそれはそれは美しく、かつカッコよかった。

しかし2008年のジュリーはどうか。インディアンの大酋長の羽飾り身にまとって登場したジュリー。金髪に染めたジュリー。しかしあの美しいジュリーは面影、残滓を残すだけ。アップになったその顔はまぎれもなく60歳の齢を感じさせる男のそれだった。
たぶん「人間60年」というテーマからしても、ジュリーはその生き様を示そうとしていたのだろう。長い年月歌い続けてきた一人の男としての生き様だ。彼がラストに観客に対して語った言葉はスーパースターの彼にしてはあまりにも謙虚で、あまりにも真摯なものだった。

「本当におつきあくださいまして、ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
昭和41年に上京して、昭和42年にザ・タイガースとしてデビューしました。そのザ・タイガースの時代というのは、私にとっても本当に宝物です。
まさに夢でした。
僕は夢見る男ではありません。でも、みんなに夢の中に連れて行ってもらいました。それからずっと、今も、夢の中にいます。夢の中にいましたから、僕はそのうえに夢を見ることはできませんでした。現実を一つ一つ踏みしめていました。現実を見ることだけをしっかりとやろうと思ってやってきました。そして、日常を、日々の暮らしを、一歩一歩、歩んできた。また今日夢の中に連れていってもらいました。
本当に皆様のお陰で夢が見れました。60にもなって、3万人もの人の前で歌えることは、本当にうれしさの極みです
また明日から、しっかりと日常を暮らしていきたいと思います。
一日でも長く歌っていたいと思います。
本当に今日はありがとうございました。」

スーパースターにしてはあまりにも謙虚な言葉である。ある種の感動すら覚える謙虚さである。それがジュリーの60年の生き様なのだろうか。一日でも長く歌ってもらいたいとは思う。でもあのカッコ良かったジュリーは永遠に失われてしまったのかもしれない。
今回のライブでジュリーは3時間以上、全80曲を熱唱したという。素晴らしいことである。テレビ放映でも懐かしいザ・タイガーズ時代のものもあり、あの名曲「TOKIO」も歌っていた。でも出来ればこの曲ではパラシュート背負って欲しかった。いくつになってもジュリーには、ジュリーが歌う「TOKIO」ではパラシュート背負ってもらいたかったよ。
でも今の若い人には想像もできないだろう。かって日本にはまごうことなくカッコ良いロック・スターがいたということを。その人は時には甘く、時には荒々しく歌い上げる。そして今となってはチンケな装置かもしれないけど、ステージ上でパラシュートを背負って、電飾を体に身につけて歌ったのだ。信じられるかい、パラシュートだぜ。