ディープ大阪〜新世界〜串かつ〜通天閣

大阪城を後にして一路新世界に向かう。といっても数キロとほんの目と鼻の先みたいな距離である。天王寺は営業で何度か行ったことがある。ただ記憶をたどっていくとよく通っていたのは阿倍野の書店とか上本町の百貨店の書店とかそのへんで天王寺は主に乗り換えで使っていたにすぎなかったかもしれない。
通天閣はもちろん見知ってはいたけど、なんとなく遠目から眺めるという感じだったか。定宿にしていたのはたいてい難波近辺で、夜飲み歩くのも圧倒的にミナミ界隈だったので、通天閣近辺というのは実は行ったことがなかった。
それでとりあえず天王寺に車で向かい動物園を左手にして繁華街の狭い道をのろのろ行くといきなり通天閣の真下にでた。と、そこにちょうど良い感じで駐車場があり、空いていたのですぐに車を止めた。そして新世界である。なんとも早、このゴチャゴチャ感は素晴らしい。イメージとして言えば、そうだな横浜桜木町の野毛をより煩雑にしてミニマムに凝縮した感じか。野毛にはどことなくハマ的なスノッブ感があるにはある。でも新世界はもっと土着的というか所謂一つのアーシーかつブルージーである。まさしくディープな世界、ディープサウスならぬディープウェスト世界なのである。最近野毛を訪れた友人の話によると、再開発だかなんだか知らぬが野毛はずいぶんと綺麗に変貌しちまったらしいので新世界の現在とはうまく比較できないらしい。まあ昭和の野毛的イメージが現在の新世界とシンクロすると、ほとんど私の個人的印象批評というか感想である。
それですぐに妻のリクエストに答えるため串かつ屋を探すのだが、探すまでもないのである。もう通りのあちこちに派手な電飾やらお品書きやら陳列やらがこれでもかこれでもかというくらいにゴテゴテの串かつ屋が目白押しなのである。どこにもすでにロクデナシ連中が飲んだくれている。時刻は4時前後であるというのに。なんとも素晴らしい世界ではないか。
ただしここで問題がある。かくも賑々しき飲み屋があるというのに、この私が酒飲めないのである。そう、運転しなくてはいけないから。淋しいを通り越して、自分の境遇を密かに呪いつつ車椅子を押している私がいるのである。なんていうか心象風景としてはだね、サファリの平原がある。インパラやらゼブラやらが潤沢に餌を食んでいる。そこに一匹のライオンが家族を連れてやってくる。でも雄ライオンはなぜだか天からのお告げでベジタリアンになることを運命づけられてしまう。ベジタリアンのライオン、それが新世界にいる私なのである。
ガイドとかその手で学習しておいた店がこことここみたいにチェックしながらも、とにかく車椅子で入りやすい、食べやすそうな店を探して、ややメインからはずれた場所を選んで入ることにする。最初にお飲み物はと店員に尋ねられて、妻のための中生を1杯頼み、娘と私はウーロン茶なのである。悲しい・・・・・。それから串かつをまず小手調べに7〜8本頼んだか。牛やら豚やら椎茸やら茄子など。ソースは二度漬けしてはいけないと一応娘にウンチクをたれながらみんなで食す。美味い!
娘も妻も美味しい、美味しいを連発する。いやー、久々の串かつはやはり美味である。思えばその10数年前の営業時代、大阪へ来ると毎回食べていた。だいたいは北、梅田の地下街のはずれあたりの立ち食い形式の串かつ屋である。キャベツがただ、ソースの二度漬け禁止もそこで教わった。一日の仕事に疲れた体で、とりあえず串かつ屋に直行する。そこで瓶ビール2本と串かつ数本。至福の時である。たいていの場合、それから本腰で飲むべく場所を換える。うんと疲れている時は宿にすぐに戻ってみたいなこともあったっけ。
その店には2時間近くいたのだろうか。なんとなく豪勢にとにかく食べたいもの食べろと妻と娘には言い置いていた。娘は調子に乗って好物の刺身とかも頼んだ。串かつ屋で刺身もないだろうとか思いながら、まあいいかと。最後の〆にはスパムをのっけた俵状のおにぎりまで食した。勘定は8000円弱。酒類は妻が中生1杯だけである。気がつけば私も娘も自分の皿には串の本数が半端じゃなく乗っている。よくぞ食ったというところだろう。
店を出たのは6時ジャストくらいだったか。外は完全に暗くなり、店々の電飾系もゴチャゴチャと賑わいを増している。それから最後の目的地である通天閣に登った。
まあここは歴史を感じさせる場所でもある。なんでも二代目なのだそうだが、1957年に出来たとかでほとんど私と同い年みたいな感じである。なんとも親近感がわいてくるようなくたびれ方だ。なんていうのだろう、タワー全体がこじんまりとしていて極めて土着的な感じだ。
東京タワーもほとんど同世代なんだろうが、こっちは修繕、改修がより頻繁に行われているのだろう。垢抜けた印象がある。まあ東京である、港区である、芝公園に立地しているという部分もあるのだろう。そこへ行くと通天閣はなんとも敷居がほとんどないくらいに低く、庶民的というか、道行くナニワものとほとんど等身大的に近接しているような存在だ。似たようなタワーはどこかにないかなと、ちょっと考えるとやっぱり私の出身である山下公園マリンタワーあたりと近似的かなとも思う。とはいえあそこはハイカラなハマのシンボルでもあるから、アーシーな部分がない。でも以外とチマチマしているというか、ある種のこじんまり感はちょっと似ているかなとは感じた。
5Fの展望台からは大阪の夜景が一望できる。けっこう綺麗だ。梅田近辺とかもなんとなくわかるし、それこそUSJの辺りもここらだろうと見当もつく。それから例のビリケンさんである。笑わせる存在である。当然の足裏をなでてから家族の健康を祈る。家族一人一人記念撮影をとる。アメリカ人の手になる偶像を神サンにしてしまうという出自も微笑ましい。

通天閣にはジャスト45分くらいいた。それからすぐに車に戻る。時間は7時少し前である。高速道路はたぶん空いているだろう。ナビに自宅を入力すると帰宅時間は2時半とかと出る。それはないだろうとは思う。夜のドライブである。あまりスピードは出さず出来るだけエコ運転を心がけ、リッター11キロ近くまで持って生きたいなと思った。そのうえで帰宅時間は1時半を目標にした。
途中、名神から中央道に入り諏訪で一度だけ休憩と給油を行った。時刻は11時半くらいだったか。それから中央道をひた走りに走り圏央道に入って鶴ヶ島に着いたのは1時少し前くらいだったか。けっこう早く着いた。前日とかもホテルでそこそこ早目に寝たこととかも良かったんだろう。ボロボロになることもなく帰りつけた。家に帰ってからはまず荷物類を片付けた。深夜だというのに一度だけ洗濯機を回した。そこそこ半端じゃないくらいの洗濯物があった。やっぱり二泊三日の家族旅行なんだから、まあ仕方がないというところだ。そうした作業系を終了して、とにかくも寝床に着いたのはほとんど3時近かったか。