ビッグ3に公的資金

http://mainichi.jp/select/biz/news/20081206dde001020035000c.html
悪い悪いという話は聞いていたけど、アメリカの自動車業界は深刻な状況にあるようだ。GM、フォード、クライスラーのどこかが、あるいは総てが破綻した場合の影響はとんでもなく大きい。下請けや材料メーカーを含めた総ての雇用への影響。なんといっても自動車はまだまだアメリカの基幹産業の一つなのだから。しかしいったいどこまで公的資金は投入されるのだろう。
なんとなくの想像だが、ビッグ3の状況は相当にしんどいところにある。まずは技術開発のとてつもない遅れ。トヨタやホンダが低燃費車や電気自動車の開発を続け商品化している現在である。一方でかの国の自動車はあいも変わらずガソリン食いの大型車ばかり量産してきたのだから。当面の運転資金としての公的資金投入ではなんの解決策にもならないだろう。ビッグ3の体質を変えるまでにはどのくらいの資金が投入される必要があるのか。

「3社の再建には最大で1250億ドルが必要」(格付け会社ムーディーズ・エコノミーのマーク・ザンディ氏

なんて話もある。約12兆円くらいか。でもそれでもまだまだ足りないような漠然とした予感がある。
 しかし一方では当然のごとくこの公的資金投入に反対の声も高いようだ。CNNの世論調査では61%が公的資金投入に反対しているとも伝えられている。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20081205dde007020012000c.html
 そうなのだ、なぜ一企業に公的資金が投入されるのか。大企業で破綻した場合に雇用や景気に対して大きな影響を与えるから。たぶんそうなのだろう。でも元々資本主義とは、そういうものなのである。弱肉強食の社会、経営に失敗すれば、市場から放逐される。そういうものであったはずなのである。市場は常に平等である。勝者にのみすべてが与えられる。そういう意味での平等性が基本原理だったはずなのだが。
結局のところそうではなかったわけだ。あるいは以前から、あるいはその原初からもともとそうではなかったのかもしれない。勝者は、究極の勝者は敗者にならないシステムなのかもしれない。結局のところ本当の勝ち組に入ってしまえば、けっして負けることがないのである。
今回のビッグ3は雇用を人質にして公的資金を得ようとしている。しかし私企業の救済のために公的資金=税金が投入されるのである。少し前の日本の銀行に投入されたのと同じように。しかし、これってまさしく資本主義社会のアンチテーゼであるはずの社会主義と同種ではないのだろうか。なんかそんな思いがふつふつと浮かんでくる。国家の介入を極力排して総てを市場にゆだねる。市場が最終的にきわめて合理的な結果をランディングさせる。それが資本主義の栄光であったはずなのだが。
かってのケインズ有効需要政策は、あるいは大恐慌後、ルーズベルトがとったニューディール政策とか、それらは公共事業を中心とした積極的な政府の介入支援によって、雇用を創出する試みであった。ある意味ではそれは極めて社会主義的な政策でもあったようにも思う。たぶん勃興し勢力を拡大しつつあったロシアに対しての対抗みたいなこともあったのだろう。
今や世界的に連鎖されるであろう不況と経済の破綻、それらを食い止めるために政府はなりふりかまわず財政出動せざるを得なくなっている。もはや「神の手」などと流暢なことを言ってはいられないのである。そういう意味では1980年代から対等してきたアメリカ経済の新潮流にしてメイン・ストリームであったマネタリズムだのなんだのは現段階、2008年にあっては死滅したといっても過言でもないのかなとさえ思う。
金融破綻、経済の連鎖的破綻を食い止めるために各国政府をやむなくも経済にどんどんと介入していかざるを得ない。アメリカでもユーロでも日本でも。もちろん中国では最初からそれは行われていることである。2008年以降の世界は、市場による資本主義から、国家資本主義へと以降していくのかもしれない。でもそうなるとその先には、なんとなくだけど、戦争とかそうした直裁的なテーマにいきついていく可能性もあったりもしそうなのである。