ふり込め詐欺

朝日の夕刊にのっていたのだが、振り込め詐欺撲滅月間の10月、東京都内の振り込め詐欺被害は126件もあり、その中には銀行員や警察官の制止を振り切って振り込んでしまったケースもあるという。
http://www.asahi.com/national/update/1101/TKY200811010112.html

一方、制止を振り切って振り込んだケースの一つは、10月上旬、足立区内の無人ATMでメモを見ながら操作している50代の女性に警戒中の警察官が気づいた。警察官は何度も「振り込め詐欺ではないか」と止めたが、女性は「家庭のことだから警察には関係ないでしょ。個人の自由です」と耳をかさず、現金10万円を13回振り込んだ。その後、やっと説得に応じ、息子に確認したところ詐欺だったことが判明したという。

なんかさあ、もうこうなると一概にも詐欺だの、お年寄りが被害者だとか言えないのではないかという気さえしてくる。あんまり好きな言葉じゃないけどさあ、あの小泉純ちゃん時代のキーワードをさあ、使ってしまいたくなるよ、「自己責任」
問題の本質はなんなのだろう、核家族化によるお年寄りの一人暮らし。お年寄りの心理にうまくつけこんだ巧妙な知能犯的犯罪集団の増大。ある意味今的な社会問題なのだろうけど、あえて極論を述べさせてもらうとね、裕福なお年寄りが多すぎんじゃないのか。ようは今のお年寄り、意外と金持ってい過ぎるということなんだろうと。まあ極論ですよ、極論。それも一つの極論です。
だけど例えば現金10万を13回連続で振り込むとかさあ、100万、200万とかいう大金を簡単に振り込めちゃうという事実がある。私も多少銀行預金はあるにしても、身内だろうがなんだろうが100万からの大金を電話とかだけで指定された口座とかには振り込みません。手渡しするとか、相手にあって確認したうえで、そのうえで振り込むとかします。100万は大金ですよ、そんな簡単に払いませんって。
それを簡単に振り込めちゃう、ようは金持っているという証拠です。
今のお年寄り、60歳以上で特に65歳以上の人たちはたぶん年金も当然満額出ているし、日本経済が傾く前かぎりぎりくらいまでに会社お辞めになっている方とその奥様たちでしょう。退職金も満額出ているし、様々な企業年金とかも出ている可能性もある。いわば日本経済が一番良い時を謳歌しつつ、その遺産をきっちりいただいている人々なんではないかと思うわけです。
私の関係する会社とかでもそういう大先輩が沢山いらっしゃるし、けっこう皆さん老後をがっつり楽しんでいらっしゃる。どうもねこういう方々の一部がね、おれおれ詐欺に引っかかっているんじゃないかと勝手に推測しているわけ。資産数千万お持ちでね、年金もなんだかんだでね、毎月換算で20〜30万くらい出ていてね、ようは金に困っていないのですよ。こういう方々が100万、200万詐欺にあって振り込んでいるというのが実体なんではないかとつい勘ぐってしまいたくなる。何度もいうけど、毎月ヒーヒー言いながら働いて稼いだ金で家族食べさせていたらね、そう簡単に100万、200万の金振り込みません。身内が金困っていて無心してきても、電話とかそんなものですぐに払いません。きちんと会いにきてどれだけ困っているか話を聞いたうえで、それでも100万は払えませんよ、簡単には。そのくらいお金にシビアになるように生活しているんです、普通の人は。
強引に持って行きます。結局ね振り込め被害はね、この国のやり方に問題があるんですよ。社会保障、福祉のインフラやらないでね、自己責任、老後は金ためて自分でなんとかせいと、まあそういうことにしてきたでしょう。だから一方で本当に困っている老人とかがたくさんいる。だけど一方では国のやり方にそってうまく、あるいはこつこつ小金を貯めてきたお年よりもけっこうたくさんいるわけだ。こういう人たちお金持っているけど、多分振り込め詐欺とかぐらいしか実は金の使い道がないんではないの。まあ言いすぎだとは思うけど。
結局年寄りが小金貯めて老後に備えるという社会が実は駄目なんじゃないのと思う部分もある。福祉のインフラが進んでいて、少なくともずっと税金や年金その他もろもろで社会的に積み立ててきたものによって、あまり老後の資金とかがなくても社会が面倒みてくれるような社会だったらね、こんな振り込め詐欺なんていうものは実はあんまりないのではないかと、妙にそんなことを思ってしまったわけだ。
フランク・キャプラの名作「我が家の楽園」の原題は「YOU CAN'T TAKE IT WITH YOU」(=『それを持っては行けない』)という。資本家の拝金主義を風刺し、人生に大切なものは何かを描いた人情喜劇である。このタイトルはストレートにお金を天国には持っていけないよ、だから金もうけに邁進するのではなく人生を楽しむことに意義を見出さなくちゃといっているわけだ。だけど今風にいうと「それは持っていけないよ、だからどこかの誰かのために振り込んじゃう」という風にアレンジされちゃうわけなのかもね。