伊勢・志摩へ行ってきた

といっても先週のこと。11日金曜日に休みをとって12、13日の二泊三日の旅でした。合歓の郷にあるホテル合歓が健保の契約施設になっているためかなり割安で泊まれるので3〜4年に一度くらい利用している。人気施設のためなかなか宿がとれないのと、やっぱり関東からだと遠いということもあってそう頻繁には利用できない。
最初に行ったのはたぶん10年くらい前だったか。子どもがまだ一歳になる前だった。初めてのロングドライブでチャイルドシートを嫌がって泣き叫び、何度もシートから脱出しようとするのを妻が押さえつけみたいなことを妙に鮮明に覚えている。あと確かこの時はワールドカップのフランス大会の年だったか。宿で深夜にフランス、イタリア戦を観たことを記憶している。準々決勝で0-0のままPK戦までもつれ込み、フランスが勝った試合だった。夜中に一人でしみじみ観ていたっけ。前回アメリカ大会決勝のPK戦で派手な宇宙開発キックで涙をのんだバッジオPK戦の一人目で出てきて見事に決め、個人的な雪辱を遂げた。でも最後にもう一人のバッジオ、ディノが外してイタリアは敗れ去った。PK戦に弱いという伝説が生まれたのはこの頃からだったのだろうか。
二回目に行ったのは娘が年中か年長くらいになった頃だったろうか。だから今回を含めていうとだいたい5年に一度みたいな周期になっている。我が家の5年に一度のお伊勢参りということになる。
今回も含めてなのだが、行くところは判で押したように同じ。初日は車で延々走り午後一くらいに伊勢に着く。それから伊勢神宮の内宮へ行く。参拝しておかげ横丁とかをうろうろしていると夕方になるのでそのまま宿へ行き一日終了。翌日は早朝に合歓の郷をランドカーで散策。それからスペイン村へ行き一日遊ぶ。三日目は宿を出てから鳥羽の水族館へ行く。三回が三回とも本当に同じパターンだな。最初の時は下道で鈴鹿や松阪あたりまで走った。夕刻、かなり遅い時間になってから高速に乗り未明、あるいは明け方近くに帰ってきた。
二回目は鳥羽からフェリーで伊良湖へ渡った。名古屋をぐるりと回るよりもはるかに楽だった記憶があった。この時はよせばいいのに伊良湖からずっと下道を走って帰った。東海道をひた走りに走った。おそらく最初で最後になるだろう東海道珍道中だった。
今回も同様にフェリーを使った。車椅子の妻を乗せて初めてのフェリーである。通常フェリーだと車で入船してから車を降りて船室に階段に上がる。そのことがあったので切符を買うときに身障手帳を提示して割引料金で乗船券を購入した時に車椅子での乗船について聞いた。すると私だけが車で入船し、妻と娘は一般乗客と一緒に乗船することになった。いちおう補助してもらうということだったが、後で聞いてみると車椅子をずっと娘が押していたので、手助けとかは特になかったらしい。まあ娘がそれだけきちんと介助ができたということなのだろう。
三日間の旅行は、ある意味いつもどおりの旅行だった。とくに可かもなく不可もなくというところだ。まあそれぞれがちょっとづつ旅行慣れしつつあるのだろう。伊良湖から下道を走り浜松で東名に入る。それから順調に高速を走った。厚木近辺から渋滞という表示があったので、どうするか悩んだ。厚木で降りてもそれから16号に出て鶴ヶ島まではかなり時間がかかる。どこかで中央に入れば圏央道へ出て相当に短縮できる。それで結局御殿場に出て河口湖まで走り中央道に出た。一度も渋滞にひっかかることもなかったが、それでも鶴ヶ島に着いたのは10半過ぎだったか。夕食をとっていなかったので、近所のリンガーハットでちゃんぽんを食べた。それから閉店間際のベルクへ寄り99円の卵を買った。急速に日常生活に引き戻される思いだ。
12時過ぎに家にたどり着いてからも、後片付けやら洗濯やら、そうなると翌日のことを考えて深夜のベランダで洗濯物を干したりまで。ロングドライブで目がしょぼつき、眠気がつのったけどなんとか2時少し回った頃にはだいたいの片付けをして就寝。二泊三日で帰宅翌日から仕事だといかにもしんどい、それを実感した旅行だった。もう、本当にもう若くないんだと痛感。