伊勢神宮

通算三度目、いつも行くのは内宮。この天皇制の総本山ともいうべきお宮、実は嫌いではない。整備されたスケールの大きな境内を歩いていると、なんとなく荘厳な気分が味合えるような気がしないでもない。正宮に参拝するときには神妙な面持ちにならないでもない。やっぱり日本人なんだろうかなどと、民族のアイデンティティみたいなものを錯覚的に味あえる部分もある。
とはいえここを参拝する時の私はたいていの場合、苦行を共にしている。一度目、二度目は娘を抱えている。一度目の時は娘は生後八ヶ月だったから軽かったけれど、境内をずっと肩車かあるいは抱っこで移動していたからかなりしんどかった。二度目は娘は5歳くらいだったか。なのになぜかこの場所ではずっと抱っこしていたような気がする。この時はほとんど眩暈がしそうなくらいに難儀だった。そういえば毎回行くのは6月後半か7月初めの頃だったから暑さも半端ではない。もちろん今回もそうだったけど。
今思うになぜいつも子どもを抱っこしているのかというと、たぶん、たぶんだが境内のほとんどが綺麗なじゃりが敷き詰めてあるため、ベビーカーでの移動にやや難がありという理由もあったのではないかと思う。ベビーカーの小さな車輪でじゃり道はけっこうしんどい。子どもも乗り心地が悪いのできちんと乗っていない。そういうことだったのだろう。
そのじゃり道を今回車椅子で移動した。車椅子でじゃり道は通常よりも力を入れて押す必要がある。スムーズに動かすためには前輪を宙に浮かして押すほうがいい。でもそれをずっと続けるには押す側も相当に力が必要。押しながら思ったよ、いつものことながら伊勢神宮参拝の苦行を。なぜここまでしてこの地を訪れなくてはいけないのか。日本人であることを再確認するためにこのしんどさが必要なのか。まあどうでもいいや。
正宮の下まではなんとか車椅子で来ることができる。しかし正宮にはどうしても石段を登らなければならない。妻にどうすると聞くと、当然のごとく行くという。まあ日光の東照宮の石段とかも経験済みだし、危ないといえば危ないのだがとりあえず一人で登らせる。段差がそれほど高くないのと、幅が広く他の参拝客と干渉することもないので、特に介助とかもしなかった。妻はゆっくりと登り、ゆっくりと正宮に参拝した。
気持ち的にはもう伊勢神宮はいいかなと思う部分もある。でもきっと5年後くらい後にまたリピーターとして来るのだろうとそんな予感もする。この地はそういう場所でもあるのだと思う。
<正宮への石段を歩く>

<美しき境内にて>