『第七官界彷徨〜尾崎翠を探して』を観る

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人づてにだが、鶴ヶ島市が共催している文化事業で「映画監督浜野佐知の仕事」というイベントが行われワカバウォークの中にあるシネコンシネプレックスわかばで行われていることを知る。昨日は前夜祭と今日がある意味本チャンらしいのだが、いけそうなのは土曜の夜だろうなということで出かけた。
イベントの趣旨についてはパンフレットから引用するとこんな感じか。

内閣府が提唱する「男女共同参画週間」に合わせ、毎年6月に鶴ヶ島市が主催し市民が運営している「ハーモニーふれあいウィーク」。今年は、その一部を市内富士見にあるワカバウォークで実施することになりました。
「映画監督・浜野佐知の仕事」は、その特別イベントとして企画されたものです。
このイベントで上映される作品は、成人映画を300本以上撮り続けてきた浜野佐知監督が、10年前から取り組んでいる一般映画全3作品、高齢者の「性」を扱った『百合祭』、幻の女流作家・尾崎翠の原作を完全映画化した『第七官界彷徨尾崎翠を探して』『こほろぎ譲』の3本を2日にわたり、シネプレックスわかばで一挙に上映いたします。

ついでに同じパンフレットから映画のあらすじも引用する。

第七官界彷徨尾崎翠を探して』(1998年)
ゲイやレズビアンが多く集うパーティに参加していたアドとサフラは、会場のTVモニターに不思議な映像が映るのに気づく。それはアドが持っていた本の著者、尾崎翠が晩年、病院に入院し、死を間近にしたシーンだった。
映像は、郷里の鳥取での尾崎翠の死(1971年)から林芙美子ら文学仲間と交流した東京時代(1930年代)へと遡る実人生の時間と、主人公・小野町子が探求する第六感を超えた深層心理に分け入る代表作「第七官界彷徨」の不思議な小説世界を交差させつつ、複数の時間・空間を行き来する。
いつのまにかパーティ参加者もモニターに惹きつけられ、翠の後半生と町子の物語が終わったとき、期せずして「翠コール」「町子コール」が起き、それに応えるかのように、モニターには、鳥取砂丘を登るかってのモダンガールたちが現れる。

映画は怪しげなパーティ(クレジットではクィアとでていましたね)と尾崎翠の実人生を描くパート、小説『第七官界彷徨』の世界の三つのパートをカットバックしていくのだけど、けっこうこれが実はわかりずらい。パーティでのアド、サフラという若い女の子が尾崎翠のことを語る冒頭は、役者さんが素人っぽくてセリフが棒読み風で苦笑しそう。それに対して尾崎翠の実人生のパートはというと、これはもう朗々として骨組みばっちり大河ドラマ風のすごい作り。そのほとんどが演出以前に女優さん、尾崎翠を演じた名優白石加代子の存在感に依拠していると率直に思いました。
それに対して小説世界を描く「第七官界彷徨」のパートなんですが、これが今ひとつ説明不足なんでよくわからない。演出、編集部分でけっこう間引いた結果なのかもしれない。ただし小説が持っている怪しげな雰囲気と底流に流れる暗いユーモアみたいなものは伝わってくる。たぶん映画としてどうというのではなく、おそらく小説自体が「変」系のお話なんだろうなと思いましたね。
小説の中身についてはこちらのサイトが詳しいですかね。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bubble-hour/favorite/dai7kankai.html
それでは映画全体としてはというと、けっこうしっかりとした作りになっていて、久々映画らしい映画を観たという感想です。まずは映画の作家性を強く感じました。カットバックもそうだけど、アップを多用させたりとか、けっこう映画的手法というか技法が満載な感じでした。アップでなめるように女優さんの顔を撮っていくところとかは、役者さんの演技力や存在感が問われる部分もある。なんかこうヌーベルバーグ系の映画みたい感じもした。まあ勝手な私の思い込みだけど。
浜野監督は独立系のピンク映画量産してたのだという。たぶん出自は違うのだろうけど、かっての日活ロマンポルノの作品とかでもそうだけど、所謂成人映画の中にはみょうに映像や撮り方に凝った部分がたまにちりばめられていたりもした。映画的な引用とか実験的な撮り方とか多分にそういうものがだ。ピンク映画は基本低予算で量産され、紙くずみたいに消費されていくものだったのだろうけど、その作り手には青臭い映画青年、映画少女が集っていたのだろう。
場末の映画館、深夜に始発まつあいだに仕方なく入ってみた、しょうもないピンク映画の中に、妙に微笑ましい映像に出っくわすなんてこともあったこともあった。基本、男と女のまぐあいだけ、ストーリー性など皆無のものなのに、こういう撮り方するかみたいなカットとかがあったりとか、基本長回しのからみを妙にカット割したりとか、まあ微笑ましいとはそういうことだ。それぞれに予算、時間的制約とかから必然的にそういうことになっちゃったんだろうけど。
今回の映画でも浜野監督の出自みたいなものが想起される部分もきっとあるにはあるのだと思う。残念ながらその量産されたピンク映画をたぶん一本も観ていないのだけど(ひょっとしたら一、二本気づかず観ていたりして)。たぶんたぶんだけど、冒頭のクィアな人々が集まるパーティシーンは、その安っぽさ、しょぼさが、なんともピンク映画ぽくもないではないかな。
それでは映画自体でいうと尾崎翠の実人生のパート。前述したけど、これはもう尾崎翠を演じた白石加代子の演技力、存在感がすべて。彼女の重量級の演技をスクリーン上に過不足無く描き出すというのが、このパートでの監督さんのお役目だったんだろうなと思う。しかし白石加代子という舞台女優の大御所みたいな方の凄みとでもいうのだろうか、古いミシンで内職仕事をしながら、洋々としたアルトでイギリスの古い民謡を英語で歌うシーン、随所でふんだんに使われるアップでの迫力。もうぶっ飛びモノである。あと10年もしたら、大竹しのぶもきっとこんな風になれるかもしれないかもね、などとわけのわからない感想を抱きました。
実人生パートは他にも尾崎翠の終生の友人であった松下文子役を演じていた吉行和子もいい。この二人は1919年、日本女子大時代に知り合い、以後終生に渡って交流が続けられたという。尾崎にとっては唯一無二の親友だったということなんだけど、やっぱり精神的な部分では同性愛関係みたいなことだったのだろうか。映画がなんとなくクイアなエキセントリックな部分を底流に持っていそうなので、みょうに勘ぐった見方をしてしまうな。いかん、いかん。
この他にも尾崎翠と交流があった女流作家役として懐かしい女優さんが顔を揃える。林芙美子役の宮下順子や白川和子、往年の日活ロマンポルノの名花たちである。白石加代子吉行和子宮下順子、白川和子の四人が旅館の一室で寛ぐシーンやラスト、鳥取砂丘を歩くシーンは、とても素敵だと思いました。四人がスクリーン上に並んで<いる>だけで、しっくりくるのですな。素晴らしい女優さんの揃い踏みです。
そしてもう一つのパート「第七官界彷徨」なんだけど、これはもう面白おかしい摩訶不思議な雰囲気に溢れている。精神科医の兄と蘚の恋愛を研究している植物学者の弟、音楽を勉強している従兄の三人が住む下宿に妹が家事をするためにやってくるという設定が今一つ伝わってこないのだが、そんなものどうでも良くなってしまうくらい、とにかく変な奴揃いの変な下宿なのである。
なんかこう鈴木清順の「ツゴイネルワイゼン」みたいな雰囲気があるように感じましたな。あの映画もなにか深遠なものを感じさせつつも、実はただの摩訶不思議なユーモア映画だったように記憶している。意外と実は虚無な穴みたいなそういう中身でした。それと同じような匂い。様式美と怪しげな雰囲気の中で変な人物を描いているだけ、まあそんなところです。
主人公の小野町子を演じている柳愛里(ゆうえり)。比較的地味な感じだけど、どことなくエキセントリックな雰囲気があり、けっこう好きなタイプです。この名前ひょっとしてと思い、ぐぐってみるとあの柳美里の妹さんでした。中堅どころでちょこちょこと映画やドラマ出られているようですな。活躍の度合いとしては今ひとつなのかもしれないけど、でもねこの映画は確実にこの女優さんの代表作だと思います。けっこう綺麗に撮れているしね。アップをなめるようにカメラがおっていくようなシーンがあったけど、ちょっとぞくぞくします。おでこの吹き出物までリアルに映されたりしていて、こういう撮り方はピンクっぽいかもみたいにも思いました。
柳愛里ってどんな女優と問われれば、たった一言「第七官界彷徨」という映画を観れば良いと応えることにします。観れば彼女の魅力が伝わってくるからとも。そういう意味では映画というものは実に便利です。何万遍言葉で説明するよりも、画面を観ればすぐに伝わるのですからね。ただしこの映画DVD化されていないので、こういうイベントでもないと中々観ることはできない。そのへんがつらいところではある。でもね、ビデオが商品化される以前、およそ30年くらい前はずっとこんな感じだった。「ぴあ」とかくくって一生懸命名画座詣でして、映画追っかけたものなんだけども。
ネット検索の素晴らしさは意外な発見に次ぐ発見、その数珠繋ぎとでもいえるでしょう。この映画のクイアパーティで狂言回し的に尾崎翠のことを語り合う若い女の子役の岡本あつこと響まりあという女優。このうちの岡本あつこはグラビア・アイドルみたいなことをやっていたらしいのだが、なんと元日本代表の右サイドバック柳本啓成と結婚しているのだとか。柳本もすでに引退してサッカースクールとかやっているらしいのだが。
観客は7割くらい入っていたようにも思う。地味な映画、地味な企画の割りにはけっこうな入りじゃないかなという印象。映画が終了して明るくなると同時に観客から拍手があがった。それから館内にいた浜野監督が立ち上がり、「ありがとうございました」と。それと同時により大きな拍手が。さすがにスタンディング・オベイションとまではいかなかったけど、この手の映画祭ではお約束ですからね。
観終わってから近くのミスター・ドーナッツに寄り家族への簡単な土産を買ってすぐに帰宅した。出来れば映画の後に軽く酒でも飲んで映画の余韻を味わうみたいなのもいいかなとも思ったが、まあそこはそれ。いそいそと家路についた。
しかし家から歩いていけるところにこうやって映画の小屋というか、まあ映画館がある町というのは実にすばらしいことではないかと思う。駅を超えてとはいえ、徒歩10分で家に帰れるのだから。おまけに年に一度はこういう文化的な催しもある。駅でいえば鶴ヶ島駅のほうが近いけど、徒歩でも20分も歩けばジャズが聴ける焼き鳥屋だってある。そういや金曜日は1時近くまで飲んだくれていたっけ。
こんな風にして思うと鶴ヶ島という町もまんざら捨てたものじゃない。いやけっこ暮らすにはいい町なんじゃねえのと思う。夕方ふらりと映画を観て、帰りに軽く一杯飲む。あるいは夕食後にふらりとレイト・ショーを観にいってくるとか。そういう生活だってあるにはあるのだよとなんとなくそんなことを思ってみる。
最後に幾つかリンクを。
浜野佐知 - Wikipedia
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<予告編>