『蟹工船』が売れているらしい

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)
いわずと知れた小林多喜二の小説、日本のプロレタリア文学の代表作がなぜか今売れているのだという。各紙の文化欄等でとりあげられていたみたいだ。
<読売>
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080502bk02.htm
<朝日>
http://www.asahi.com/culture/update/0513/TKY200805120295.html
<毎日>
http://mainichi.jp/enta/book/news/20080514dde018040019000c.html
時系列的には読売が一番最初にとりあげ、朝日がフォロワー。毎日は自分のところの高橋源一郎雨宮処凛の対談が発端であるとの元祖記事でまとめている。
しかし『蟹工船』である。小林多喜二である。もはや忘れられた作品の一つであったはずなのに、なんで今頃というのが正直な感想だ。実際、この手の古典ものが五ヶ月足らずで27000部増刷は異例中の異例である。正直信じがたい思いだ。
火付け役である書店、上野ディラの担当者もものすごいと思う。本屋の担当者は半分直感、半分は時代の雰囲気とかから、なんとなくこの本いけるのではみたいな形での仕入れ販売を行うことけっこうある。でもたいていは、はずれ。うまくして2〜3ケ月で100冊くらいの中ヒットになることもある。まあこのくらい売れれば版元に対してもかっこがつく。まあこれが一般的。だから今回の週間で40冊とか、二ヵ月半で900冊は大穴あてたようなものだ。まさしくしてやったりという感覚だろう。新潮社からは相当に貢物あったんではないだろうか(^_^)v。
冗談は別にして、今『蟹工船』が売れる理由として、就職氷河期を経験した若者たち、フリーターや派遣で低所得を余儀無くされている人々の共感を得たというのが、まあ一般的なところだ。確かに仕事もなく、住む場所さえないネットカフェ難民たち、2〜3ヶ月の短い雇用サイクルで低賃金を強いられるパート労働者、サービス残業長時間労働で働く人々、彼らの状況はまさしく搾取されるプロレタリアートの状況と同じとはいえなくもない。
蟹工船で過酷な労働を強いられる出稼ぎ労働者が団結してストライキにうってでるというお話は、ワーキングプアに共感をもって読まれるということなのだろう。と、この『蟹工船』をめぐる新聞記事を読んでいて、ずっと思っていたことなのだが、なんでいきりな『蟹工船』なんだろうということが一つ。そしてプロレタリアート文学、文学にいく前にやるべきことがあるのではないかということ。そして、それよりも何よりもだ、これだけ雇用が不安定な社会が生み出されている時にだ、労働者の雇用を守るべき組織はいったい何をやっているのだろうと、ある意味ずっとそれが頭の中でひっかかっている。
第一には、労働組合はいったいなにをやっているのか、ということ。パート問題やワーキングプアにつっこんでいる組合ももちろんあるだろう。でもナショナルセンターはどうしたのか。みんな既存組合員の権益を守るため、資本家のいうグローバリズムに取り込まれてしまったのか。あるいは組織率の低下からまったく運動方針が出てこないのか。
そしてもう一つ、共産党は何をやっているのだ。
本来なら、この唯一(!?)の労働者のための党が、格差問題を前面にとりあげてワーキングプアを不安定なパート労働者、派遣労働者を組織していくべきなのに。とはいえここもまた新聞の拡販と選挙運動がメインの長期低迷、衰退傾向からまったく抜け出せないでいる。しかし現在の格差問題=階級格差は、この党にとって党勢拡大のための最大のチャンスであるはずなのにと、あるいはこの党こそこの問題に先鋭的に切り込むべきなのにと思う部分もあるのだ。
カビラ・ジエイ風にいえば、「むむむ、ハ・ガ・ユ・イ!」とでもいいたくなってしまう。
共産党にしろ、労働組合にしろ、『蟹工船』読んでいる人をぜひ組織化する方法論を探ってもらいたいと思う。
それにしてもだ、格差社会で『蟹工船』が売れるのであれば、もう一丁いけるのではないかと思う。カール・マルクスレーニンの著作だって売り方によっては・・・・、どうだろう。いっちょう『共産党宣言』あたりを棚一段あるいは一本つかって大きく面陳、あるいは平台一面ぜ〜んぶ使って販売してみたら。ポップはね〜、「格差社会の処方箋」とかなんとか。
タイトルがタイトルだからちょっと手にとるの引けるかもしれないかな。でも、小冊子みたいに薄いしけっこうすっと読めちゃうはずなんだけど。ただ訳が硬いから難しいか。
こうなると光文社に古典新訳文庫シリーズに期待するか。もっと簡単な訳でさ〜、いっそのことタイトルからして変えちゃうとか。英文そのままカタカナにして『コミュニストマニフェスト』なんてどうだろう。