子どものベッドが届く

この前の日曜日だから11日だったか、娘のベッドを購入した。娘の部屋は洋室なのだが、この間ずっと布団で寝ていた。洋室で布団となるとたたんでしまう場所がないのである。朝起きたら布団をたたんで部屋のすみに置くことにしていた。放課後友だちが遊びに来ると、布団を妻の寝室か私の部屋にずりずりひっぱっていくとかしていた。
ずいぶん以前から、そう娘が自室で寝るようになってから、いずれはベッドを買わなくてとは思っていた。娘からも再三おねだりもされていた。ここ一ヶ月くらいは無言要求なのか、布団を三つ折にしてその上で寝ていた。「なんだい、ベッドで寝る練習かい」と聞くと、「うん」とニコニコしながら答えていた。夜中に娘の部屋をのぞくと小さな三つ折にした布団の上で、もう140センチを越した体を小さく、くの字にして寝ていた。
そんなこんなでいよいよ覚悟を決めて買ってやろうかと思い土日と近所にあるニトリに出かけた。値段をチェックするにつけ、比較的安い家具が揃うニトリでもフレームとマットレスのセットで5万前後する。これにベッドパットやらシーツ、掛け布団、布団カバーなど一式揃えていくと、さらに2万前後の追加となる。う〜ん、とうなりつつ言葉が少なくなる。
そんな中、白いフレームでマットレス付34800円現品処分品が1点あった。これは相当に格安モノである。同じものが1万少しプラスで売られている。この現品処分品、なんで安いのかというと若干フレーム下部に汚れがあるからだとか。多少の汚れならいいんでない、みたいな感覚をもちつつ土曜日は一応保留してみる。ほんでもって翌日の日曜日、やっぱりあれしかないだろうと思い、もしまだあれば買っちゃおうということになった。まあもちろんあったのだけど。
それで品物の搬入が今日になったわけなのだが、それからというものけっこう大変。ただでさえ狭いのにガラクタが多い娘の部屋である。先日かなりの玩具類を捨てたとはいえ、ハイここにベッド設置しまうという風にはならない。なんとか今置いてある本箱を窓側に移動させ、窓側に置いてあるカラーボックス二つを本箱があった側に移して上下に重ねる。理論的にはこれでベッドが置けるはずなのである。
前夜、半分仕事絡みの飲み会で遅くなったので、ほとんど準備が出来なかったのだけど、それでも飲んだくれのへろへろなんだが、娘の部屋の本箱の中身を私の部屋に移動させて空っぽにした。そして今日の朝、早々に娘と妻の朝食作ってから、まず娘の部屋の本箱を移動させてからベッドを置く場所に掃除機をかける。それからシステム・カーペットをはり巡らす。システム・カーペットは引越し時に前の家で使っていたのがけっこう残っていたから、ほぼ一畳分くらいは楽にはれる。それからもう一度掃除機をかけて業務完了。それでも9時前に会社行けるのだから、職住近接様様である。
会社に着いて30分くらいすると妻から電話があり家具屋が着たという。いちおう前もってことわりいれておいたので、ヤボ用で30分ほど席はずすと言って自転車で自宅に戻る。家具屋はすでにベッド組立ての作業始めていたので、それを見守る。作業は10分ほどで終了。それから本棚を動かし、カラーボックスを動かし。さらにマットレスにベッドパットを設置しボックスシーツを被せる。二枚合わせの羽毛掛け布団はもうこれから暑い季節だからと一枚にしてから布団カバーに押し込む。最後に枕を枕カバーに入れて、ハイ!ベッドメイク完了。すべての工程30分もかからず終了。あせりつつ会社に戻りました。
とりあえず娘は新しい自分のベッドにご満悦。しかし自分の子ども時代のことを考える隔世の感があるな。自分には自分の部屋なんてなかったし、当然マイ・ベッドなんてありえなかったのだから。おまけに当然貧乏だったし、友だちとかを呼ぶこともできないようなボロ屋に住んでいたこともあった。おまけに母親もいない父子家庭だろう。それを思うと娘はやっぱり恵まれているとは思うよ。
母親が障害者でもそれほど暗くないとはよく言われるけど、なかなかシビアな時代にあっても、そこそこ恵まれた環境にはあるんじゃないのと、父親の自己満足的な感想ではある。金のこともあるけど、やっぱり生活環境っていうのはそれなりに子どもの人格形成に影響する。それを思うと、自分自身が経験したようなことは出来れば娘には味わって欲しくないと、まあそんな気分もあって、結局大甘なオヤジしているんだろう。