時系列的新年の日々

1月7日(月)
仕事始めの日。とはいえ今年は週末に一大イベントが控えていることもあり、その準備もあって5日にすでに出勤しているのでなんの感慨もありません。ひたすら休み明けの集中業務をたんたんとこなすのみ。
例年恒例のことだけど、部下も含めて8時まで居残り。近所の中華屋で飯食べさせて帰りました。思いはただひたすら今年もとりあえずしのいでいくということ、それにつきる。個人的には健康な日々が送れればそれだけでいいくらいです。
1月8日(火)
子どもの初登校。
担任やクラスもこの日にわかるのでとりあえず子どもを連れて学校へ行く。暮れに転校手続きで訪れたときに初日は図書室で待つようにいわれていたのですぐ図書室に入ると教務主任がやってくる。それからしばらくして担任もやってくる。予想通り暮れに行ったときに最初に挨拶をしてきた元気のいい若い女性教諭だった。娘は男性教諭よりも圧倒的に女性教諭が好きという子どもなので、本人もほっとしている様子だった。
この日は全校生徒が体育館に集まって朝の会があるということなのだが、娘はそこで演壇に上がって全校生徒の前で挨拶をすることになってしまった。そのことを聞いて娘もかなり引いた様子だったし、親の私もけっこうびっくりした。後で迎えにくると担任が図書室を出て行ってから、娘は本を手にとって暇つぶしを始めたのだが、私は挨拶の文言を練習するように何度も促した。
「○○市の○○小学校から転校してきた○○です。よろしくお願いします」
朝の会では校長の挨拶の後で娘は演壇でマイクをもたされて例の挨拶をすることになったのだが、以外と冷静に文言をすらすらと言えた。いつもの引っ込み思案の娘からすると、声にならないような小さな声でぼそぼそで終了かと思ったのだが、意外に冷静な感じだった。後で聞くと頭の中は真っ白になっていたそうな。
朝の会の終了で生徒たちはクラスに戻り、私もそこで学校を後にして会社に行くことにした。しかし朝学校の用事をすませてもきちんと定時に会社に行けるっていうのもどうかと思う部分もある。
1月9日(水)
引越しのばたばたでふたにヒビが入ったため年末に一度修理に来てもらいふたを交換した洗濯機が、その後頻繁に運転中にエラーメッセージが出て止まってしまうので、再度サービスを呼んだ。説明が必要なので会社を抜け出して速攻家に行きサービスマンに症状を説明する。どうも暮れのふた交換の際のとりつけに問題があった模様。再度ふたを付け替えると特に問題もなくなった。
会社に戻る途中で下校途中の娘と遭遇。登校二日目にしてすでに友達もできたようで、ニコニコしながら私に近づいてくる娘。とりまいている友達たちが、「誰、おとうさん」と娘に聞いている。ほとんど会社の前あたりだったので、娘が「ここがパパの会社」と説明している。これが職住近接生活っていうことなんだろうかね。
1月10日(木)
引越し後まったく使っていなかった自室のメイン機にようやっと大晦日に電源を入れるとウィンドウズがまったく立ち上がらない。接続系かと中開けて確認したがまったくわからず。引越しで荒っぽくされてハードディスク逝っちゃったような感じ。N通、勘弁してよーというのが心の叫びである。
7日にN通の担当者に電話を入れる。パソコンは当初説明では補償の対象にはならないということだったが、こっちは自分の車で運ぶつもりだったのに当日勝手に箱詰めしてトラックに積んだのは人足連中なのである。そのことを強くいうと修理業者に連絡をとり自宅に訪問させるという。で、この日に業者やってきた。
夕方業者が家の前に来たというので例によって会社抜け出して自宅へ。症状を見せるためにPCに電源入れて「こうしてもハードディスク読みに行かないからウィンドウズも立ち上がらないんですよね」と言っているそばから例の「チャチャチャチャチャ〜ン」という音ともにいつものウィンドウズ画面が。アレレレっていう感じである。
業者の人曰く「まあこういうことはよくありますので、とりあえず問題は解決ですね」と。こっちは正月に何度も試しても全然立ち上がらなかったんですよと言い訳を繰り返し、PCを落としたのだが、すると今度はちっとも落ちることもなく電源も落ちずそのまま固まってしまうPC。「これはやっぱりおかしいですね」と業者。それでこっちもやっと格好がついた感じで「とにかく持ち帰ってチェックしてください。場合によってはハードディスク初期化するくらいはいたし方ないと思っていますから」
ということでメイン機としばしのお別れになってしまった。それにしてもN通よ、もう勘弁してよ〜。
1月11日(金)
一大イベント日。けっこうもろもろ忙しかったです。業務的には以上。
帰りに鶴ヶ島のジャズを聴かせる焼き鳥屋さんまで15分くらい歩いてでかける。この店11月くらいにネットで発見して以来、ずっと週1ペースで通っている。元スタジオ・ミュージシャンのマスターは時々ピアノも弾くしいろいろとアマチュアセミプロ系ミュージシャンが集まってライブも聴ける居酒屋、焼き鳥屋さんなのである。焼き鳥はもちろん東松山風の焼きトンである。ジャズと焼き鳥、このミスマッチ感が堪らないのである。
まあこういう店である。
http://www.geocities.jp/enajazz2912/
「ジャズ喫茶があるかどうか、ジャズが聞ける店があるかどうか、そういう部分でその町の文化度が計れる」と今思いついた格言めいたお言葉なのだが、けっこう真理ついていないかとも思うところもある。この店を発見したことで、ある部分鶴ヶ島に引っ越してくることでロー・テンションというか、いろいろと暗雲たれこめちゃう心理状態が少しだけ晴れたというか、ちょっとだけモチベーションあがった感もあるにはある。
まあある種の個人的な癒され場なのだ。いつもはせいぜい2時間程度で帰るのに、この日はけっこう長居して店を出たのは11時過ぎだった。
1月12日(土)
午前中、坂戸市塚越にある老人保健施設すみよしを妻と二人で見学に行く。実をいうといまだに妻が通うはずのデイケアの施設が決まらないのである。鶴ヶ島周辺では妻が希望している器具等を完備したパワーリハ施設があるデイケアがあまりないのだ。ようやくケアマネが見つけてきたのがこのすみよしというところなのだが、ここも定員は現在満員なのだという。申し込んで空き待ちをしたいと申し出たのだが、一度見学に行ってからでないと申し込みができないというので急遽行ってみることにした。
施設は若葉駅から車で10分くらい行ったところにあり、周りは田舎の雰囲気ばっちりなのだが、建物自体は立派。施設も充実している。3階建てで1Fが通所施設、2F、3Fは短期、長期の入所施設となっている。たぶんこっちがメインなのだろうと推測する。建物は広く妻も「広い、きれい」を連発していた。HP等がないので外観だけでいうと、こんなところである。
http://www.kumagaigumi.co.jp/tech/works/healthcare/hea14.html
事務員から一通り施設の説明を受けたが、実際の申し込みはケアマネを通して施設の相談員に申し込むということらしい。しかし現状ではデイケアの定員はどうも満員らしい。
こちらとしてはデイケアを週に何回行くということが決まらないとヘルパーに来てもらうスケジュールも決まらない。そうなると引越し後ずっと続いているのだが、妻の介護はすべて私が行うということになるわけで、これはこれでけっこう負担といえば負担でもある。妻は日常生活をある程度自立してできるようになってきている。それはとても有難いことだ。とはいえやはり片麻痺、注意障害、適応障害を抱えているわけだから、放っておくというわけにもいかない。端的にいえば、入浴なんかは完全についていなければならないわけで、これまでのふじみ野で週に2〜3回デイケアに通ってもらうと風呂にも入ってくるので、私的には精神的にも体力的にも楽といえば楽でもあった。
それが鶴ヶ島に引っ越してきてからというもの、最低でも一日おきの入浴をずっと続けているわけで、けっこうしんどい部分もあるにはあるのだ。ふじみ野に比べてどうにも利用できる施設が少ないというのが鶴ヶ島での印象だ。いや介護法改正により介護予防とかで通所リハビリにニーズが高まってしまったため、施設はどこも満杯状態というのが実は現状なのかもしれない。厚労省の施策はインフラ的準備を一切捨象して強引に進めることが多い。それが現象面として様々な弊害となって現れているということなのだろう。リハビリ難民という言葉がずいぶんと新聞紙上に載ったことを思い出す。
引っ越して鶴ヶ島市民となった妻もまたそうした通所リハビリ難民の一人になってしまったということか。46歳と障害者としては比較的若い妻としては麻痺して機能全廃状態の左上肢、左下肢の拘縮が進まないようにリハビリを進めなくてはいけないのだ。さらに希望的観測としては機能全廃とはいえ、リハビリにより一部の機能が戻る可能性だってありえると思っている部分もあるのだ。今は空き待ちを続けるしかないのだけれど。